潜水日記

思考の記録です。

画定線

 書店を手ぶらであとにするというのは、私の中でもかなり悲しい方の部類に入る。ほんとうに悲しい。買いたい本があるのに持ち合わせがなくて、とか、今は金欠で、とか。それはそれでまた別の悲しさであってもちろん悲しいことなのだけれど、私が今言及しているのは、買いたい本が無かった時の悲しさだ。

やがて「こんな素敵な本屋さんですら(すら?)私は買いたい本を見つけることはできないのか!!」という謎の不能感、敗北感が足元からじわじわと這い上がってくる。読みたいと思っていた本はなんなのか、私は何を切望してたのか、軽いパニックになる。

青山の本屋(20200306) - 潜水日記

  背表紙を一冊いっさつ眺めながら私は耳を澄ます。集中して本を探す。気になった本を本棚から引き抜きぱらぱらとめくる。行間に余白にうっとりとし表紙のかさかさとした肌触りにぞくぞくする。やっぱり私は本が欲しい。ショルダーバッグの中には文庫本一冊と単行本一冊がちゃんとあるというのに、私は今日も本を求めて彷徨ってしまう。

 本棚のあいだをゆっくりと歩きながら私は考えごとをしている。スマホにメモしておいた。「 電波、交差点、裁くことについて、魔女の話、ただただそこにある話」そう、特に、ただそこにあるということについては、書けたらどんなに良かろうと思っている。

 エッセイ、国内文学、海外文学、哲学のコーナーへと順に足を運ぶ。気になる本はたくさんあるけれど最後の決め手に欠ける。これほどまでに素敵な本が世の中にはあるというのに、そのどれもに手を伸ばせないなんて!とてもストレス。悲しくて悲しくて、せめて大学ノートだけでも買うかと思ったけれど(文房具も売っていた)本を買わないでノートを買うのは嫌で結局書店をあとにすることにした。

 入口近くに雑誌コーナーがあり、美味しそうな写真とその余白が気になる雑誌が置いてあった。ぱらり、綺麗。ぱらり、あら綺麗、ぱらぱら、美味しそう綺麗。ぱらぱらぱらぱら。可愛い美味しそう美味しそう綺麗。

 投げ飛ばそうかと思った。

 全部美味しそう、全部綺麗、全部丁寧。

 これほどまでに癪に障ることってあるかしら。丁寧丁寧丁寧。ああ私が希求してやまないもの!しかしそれは幻、あるいは水面を優雅に泳ぐカルガモのよう。水を一生懸命に掻くカルガモの足ひれは好きだけど。そういやいつぞやの公園の池で見た黄色は綺麗だった。丁寧丁寧、でもそれは目的なのか、結果ではなくて?お腹がぐうと鳴る。お腹が空いた。やっぱり帰ったほうがいい。それでもぱらぱらと雑誌をめくり、買おうかなが40パーセントぐらいだったけれど、丁寧に対して釈然としない気持ちが相変わらずそこにあったので、元の場所に戻して今度こそ帰ることにした。

 本棚は世界そのものではない。書かれなかったことはあるし見つけられなかったこともある。間違っているものもあるかもしれないし、正しいこともある、と思う。そこに100%気持ちが合致することなどありえなくて、しかし私は救われたくて本屋さんに行通ってしまう。自分のもやもやとした感情の解決を本に求めるのは間違っているのだろうか。あるいは、100%の解決を望むことが間違っている?間違っているのだろう。だから、〈敗北者〉のような気持ちで本屋をあとにするのはいい加減おしまいにしたい。雑誌の中で描かれている丁寧な生活が自分とはあまりにかけ離れているからって、そこに苛立つのことが子どもじみているのもわかる。

 書かれていないからといって、存在していないわけじゃないのだ。書くということは、書かれることと書かれないことの間に線が引かれるってことでもあると思うけど、何度も引いて引いて引けばいい、と私は思っている。書かれなかったことに対しても眼差しを忘れないように。余地を残して。引かずにはいられないのだ人間という生きものは。

 

 帰りに少し写真を撮る。駅の方へと向かう人の流れが激しい。逆らいたくなる。鮭か鮎か、川魚が遡上するのは川の流れを本能で察しているからではなかったか。私も逆らいたいなと思いながら人の流れとは反対方向へ歩くことにした。

 

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並んでいるのが最高に可愛かったもので

 受話器がちょっと傾いているのが超可愛い。

 

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カメラをどうしても下に向けてしまう

  縦横斜め、縦横無尽に車のようなスピードで人が歩いていて、それでいてぶつからないのだから本当にすごい。自動車はこの仕組みを自動運転として制御しなければいけないと考えると、本当に大変だね。

 

 写真を数枚撮ったら気分転換ができた。今度こそ帰る。