潜水日記

思考の記録です。

カメラ

 低いねえ、と中学生五人組部活帰りの少年たちは空を見上げながら騒いでる。

 見上げると、銀色に光る旅客機が飛んでいる様子が確かに大きく見える。

 あれはJALだよ、とそのうちの一人が言う。

 そんなんわかるん?と誰かが返す。

 JALANAかそれ以外かなんてわかるものなのだろうか。私は飛行機には詳しくないし、矯正しても0.8ぐらいにしか見えてない視力では、飛行機がただ銀色で綺麗であることしかわからなかった。電線の隙間から飛行機が見えた。それを写真に撮った。

f:id:dorian91:20200705200209j:plain

 

 注文していたカメラが届いた。嬉しくて嬉しくて、バッテリーを早速充電したけれど完全充電を待たずボディにセットして外に出た。空が青く風がそよいでいる日曜日の17時だった。

 ゆっくりとゆっくりと歩き始める。歩いていると、自分が体を持つ人間なんだということを感じることがある。自分の精神は、思考は、感情は、体の一歩先を行こうとするのに、どう頑張っても私は歩く以上のスピードが出せない。歩くことで私は有限性を知り、そして少しだけ苛つく。もっとはやくずっと遠くに行けたらいいのに、と。

 沈鬱な気持ちの時、いつもよりゆっくりと歩く。ついていかない気持ちに寄り添うように、体のスピードもそこに合わせるイメージ。音楽は聴かない。カメラは右手に持つ。スマホは鞄の奥底にしまう。そして、ただ歩く。

 焦らないことが肝要だ。泳ぐことも歩くことも書くことも生きることも、小さなことの堆積に過ぎない。365日の日記を一気に書き上げることができないのと同じように。ここ数年で「時間をかけないとどうしようもないこと」の存在感が増してきたように思う。それは私の中で人生観も多少なりとも変わったのだろうと思う。やっぱり日記を書くようになったことが大きいのではないか。

 そして、その小さなことは「何かを為すため」という目的があると続けにくい。少なくとも私の場合だけれど。理想としては、漠然と「こっちの方に歩きたいな」という気持ちで自然な気持ちでやっていくのがいい。書くことは多分その軌道に乗ったのだろう、では写真を撮ることは?

 写真を撮るためには申し分のないカメラを買ったし、当分は浮気することなくずっと使いこむことができたらいいな。撮れなくても焦らないこと。うまくいかなくても投げやりにならないこと。

 

f:id:dorian91:20200705200237j:plain