潜水日記

思考の記録です。

日記(20200622)

 思えばコロナの問題があってから(3月下旬ぐらいから)外食することが今まで無かったことに気づく。別に外で食べることが好きな人間ではないけれど、外に出ないと精神が病む人間ではあるので今日は近所のラーメン屋に行くことにした。

 雨が降っている。私は梅雨が梅雨らしいことが好きで、空梅雨の方がよほど調子が悪くなる。水不足にならないかなとかそういう心配で。雨が降っていると安心してしまう。今日は風も出ていて、斜めにざあざあと降っていて傘の意味が時々無いようなこともあった。

 そのラーメン屋さんは人気で、悪天候であっても列ができていたので並ぶ。かばんには財布と鍵と文庫本しか入れておらずスマホは置いてきた。仕方がないので傘を片手に差し、もう片方で文庫本を読み始める。図書館から借りた江國香織のエッセイ『雨はコーラがのめない』。本を読んでいるとそういうことがある。今日は雨だ。遠慮なく降っている。このエッセイの「雨」は江國さんの愛犬アメリカン・コッカスパニエルの名前なのであって、私の雨ではないけれど、とにかく今は雨が降っていて私は雨のエッセイを読んでいる。最高だ。

 ページをめくるのが難儀だ。体と手を使いながらページをめくったり、首と肩に傘の柄を挟んで両手でめくったり、そのうち、傘の8本の骨組みの間が頭にスポッとはまる大きさであることに気づき、傘地蔵みたいな感じになる。骨組みの間に頭をはめて両手を空ける感じ。もう一本腕がありゃいいのになと思いながらしばらく本を読み続ける。

 時計も無ければスマホも無い。今何時なのかわからず、別に急ぐ用事もないので何時でも良かった。時間を気にしなくてもいいという時間は貴重だし面白いなと思いながら、まだまだ本を読む。

 私の後ろに若いサラリーマン二人が並んでいて「ラーメン屋の行列に並んだことないんすよねー」とか言っている。マジか。私はあるのだが。若いサラリーマンはラーメンが好きだし行列のできるラーメン屋に行くものだ、という固定概念があるから私は驚いたのか?それはそれで嫌だな。別にラーメンを特別に思わない若いサラリーマンだっているだろう。こんな風に思い込みは日々生まれていて、その更新をしていくべし!と思うのだが、自分に対して軽く落ち込む。ああ嫌だ。

 ランチタイムはラーメンにサイドメニューが付けられます、とのことだったのでメニューを見せてもらう。ごはん、韓国風ごはん、ミニチャーシュー丼、味玉、麺大盛り。ごはん、韓国風ごはん、ミニチャーシュー丼なら、チャーシュー丼が一番お得じゃんか、と思いそちらを頼む。ラーメンを頼んでさらにチャーシュー丼をつけてしまう女はどうなのだろう?一瞬だけ思う。思ったところで選択を変えることはほぼ無いが、内なる世間の目は至る所にある。うしろのサラリーマンは二人ともチャーシュー丼を頼んでいた。ですよね。

 ラーメン屋のシステムってのは複雑怪奇で面白い。並んでいる最中からメニューを聞いておくやつなんて、よく処理できると思う。私ならオーダーを忘れるし間違えるし時間配分を誤る気しかしない。店員さんがApple Watchをつけていて、売り上げが好調なのであればそれは良かったと思った。

 ラーメンは美味しかったと思う。よくわからないけれど。美味しさに関しては本当によくわからない。どちらかというと「美味しくて」「他では食べられない味」ってのは印象に残るけれど、それ以外は全部「美味しい」に収まって記憶からも薄れやすい。だからこうして「美味しい」の外側にある音とか風景とかを関連付けて覚えようとしている。細切りメンマがごろごろ入っていて嬉しかったし(メンマとかザーサイとかが大好きなのだ)小口切りにされたねぎがシャキシャキしていたし、チャーシューも肉厚だった。チャーシュー丼より普通のごはんにすれば良かったなと後悔していて、それはチャーシュー丼がそれはそれで味がしっかりした食べ物だったからだ。ラーメンライスがわからなかったけれど、ここ数年でわかってきたところがあるから頼んでも大丈夫だったはずだ。

 帰り道、水たまりが道路の色々なところに生まれていて、それを避けながら歩く。必然的に俯き加減で歩くことになり、水たまりに現れては消えていく波紋を眺める。綺麗だのう…と思う。これで晴れていればもっと綺麗だろうに。天気雨がしっかり降ることはあまり無いのである。

 

 それ以外のこと。もうちょっとだけブログをちゃんと書こうと思ったこと。一つひとつ丁寧に。なので日付にタイトルをつけるのは辞めます。今日の話とは限らないし。あとは高い万年筆が当たった。とっても嬉しい。超嬉しい。無駄に名言とか写経している。それに髪を切りたい。ベリーショート。染めてもいいかもしれない。でも染めると染め続けないといけないって気持ちになる。それは面倒くさい。一回だけ髪を染めたことがある。赤茶?

 

 すっかすかのことばで喋っている自覚があって気持ちが悪くなってくる。理解とか、共感とか、自己顕示とか、そういうことに言葉を使うのではなく、単純によくわからないこととか、好きだなと思ったこととか、不快だなと思ったこととかを説明することに使いたい。もうちょっと温度が低い運用にしたい。甘ったるくて嫌になってくる。そう、感情というシステムをぐるぐる回したくない。疲れるから。好悪は感情では?まあそうかもしれない。ただ最低でもそこ止まりだ。そこで留めるべきで、できることなら五感から得られた情報だけをそのまま照射したいイメージ。それでいこう。人を好きでいたくないし嫌いになりたくない。ではゾンビになるしかないな。

 ラーメン屋でぐるぐる考えごとをしていたから、こんな露悪的というかやさぐれているのでありますように。決して梅雨の所為ではありませんように。