潜水日記

思考の記録です。

ムニエル、大根の中華スープ、雨(20200612)

 少し変わったなと思う。

 もういつからこのブログをやっているかもわからない。

 最初はなんとなく日ごろ書きたいと思ったことを書いていた。特にネガティブな気持ちを。私は普段他人に対して自分の心情を吐露することがほとんど無くて、行き場のない気持ちをインターネットの海にガラス瓶にでも詰めて流してみたかった。

 そのうち、どうでもよくなった。ある程度自分の乗りこなし方がわかってきたし、やりたいことが何なのか考えた結果、色々モヤモヤするよりは、やりたいことをやる方が建設的だと思うようになった。人と会わなくなったってのも大きいと思う。

 落ち込むこともあるけれど、それよりは日常のハッとした瞬間のこととか書きたいなと思うようになった。私は絵が壊滅的に下手で、本来なら絵にしてみたいのだけれどそれができない。絵が描けるようになることも方法としてはあるけれど、多分描けなくて苛々するだろう。というか実際に苛々したし。仕方なく文章にしてみる。

 こういう思考になるのは、基本的に私が貧乏性だからであり、どうにか退屈な日常をそれなりに面白く生きるための処世術である。それに何か物事があるとして、できる限り味わっていたいという、これも貧乏性なのだろうなと思う。

 

 

 悲しいことがあるし、わからないこともある。至らないこともあるし、私にはどうしようもないこともある。どうにも受け止められないことがあっても、書くと整理されることがある。もちろん書きたくないこともたくさんある。書きたくなければ書かない。でも「書こうかな」と思うことができたとき、少しだけ言葉にしてみると、良い意味でどうでもよくなる。私は少し対象と距離をとることができる。

 過ぎ去る日々。どうにかそれを残していたかった。明日死んでもいいと思うくらいに今日を充実させたいというのが私の願いで、書くことはその願いと繋がっている。何故なら書くことで多少なりとも残しておくことができるから。

恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』の中で少女と少年はこんな会話をしていた。 世界に自分以外いなくても、ピアノ弾くかなぁ、と。 2人はピアノを弾くだろうね、と言った。 私は、世界から人間が消えても、言葉を吐き続けるだろうか。多分こうして気持ちを文章にはするだろうなぁ。そうでもしないと、この気持ちをどこにやっていいかわからないから。 そういう気持ちで、色々なことを拙くていいから言葉にできたら、と思った夜。

一人でも文章 - 潜水日記

  ここはあまり変わっていない。いつまで変わらずにいられるか。変わらない限りはこの場所できっと書いていく。誰の為でもなく自分の為に。

 

 今日は鮭のムニエルを作る。ムニエルと言えば、中学校の家庭科の授業の料理実習であり、その時はサイドメニューがこふきいもだったけれど、今はじゃがいもの値段が高い(何故?)なので断念して適当に菜っ葉と卵を炒めて終わり。ムニエルはちゃんと下味をつけて小麦粉をまぶしてバターを溶かしたフライパンで焼いて美味しく食べた。ムニエルではないけれど、鮭といえば朝井リョウさんの『もういちど生まれる』に収録されている「ひーちゃんは線香花火」は最高なので読んでください。あれより美味しく鮭を書ける自信がない。まるでない。あと大根の中華スープを作る。水、適当に切った大根、火をつける、鶏がらスープをじゃぼぼぼぼと入れて煮立たせる。味を調えるために塩を入れて、コショウも入れようと思ったら在庫が切れていた。終わり。ごま油を最後に入れるのを忘れたけど、大根の味がスープに溶けだしていて美味しい。へへへ。

 雨の音が聞こえた、と思ったら聞こえなくなった。梅雨入り。雨音、嬉しい。梅雨のことが好きになるなんて、10年前の私に言ってもただ否定されるだけだろう。雨はいいもんです。

 

 こういうことが書きたい。当分は。