潜水日記

思考の記録です。ブログの名前を変えました。

ツツジが咲き終わる頃(20200513)

 道沿いにツツジが咲き乱れる歩道を歩きながら、私は今読んでいるルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』について考えている。私はこの本をSNS等で話題になった後に手にしたわけで、できることなら話題になる前に手に取りたかった。今読んで感じたこの感想は果たして「世間の人々が良いと言っているから」生じたものなのか、純然たる(純然たるなんてものがこの世にはあるのだろうか?)私の感想なのか、知りたかった。叶わないことだが。

 何故ルシア・ベルリンの短編集のことを考えていたのかというと、そこで書かれていること、空気の濃密さにクラクラと酔ったからであり、今、仮に私の生活をあのように書くとすれば、どのように書けるだろうか。私の人生にあれほど面白いことがあるだろうか(面白いといっては申し訳ないけれど)あるいは面白く書けるのだろうか。書けないなと思い、だけれど書きたいなと思った。だから私はこの文章を書き始めている。

 ツツジ躑躅と書く。なんとなく「髑髏」という字に似ているなと思ったのだが、そうでもないかもしれない。でもごちゃっとして画数が多かったりするところは似ているし「蜀」の字が入っているのが共通点か。

 私の5メートルぐらい前を2匹のトイプードルが歩いている。茶色とグレー。青色のリードと赤色のリード。人間は男性と女性。犬の散歩に出かけた二人連れ。これは最近発見したことなのだが、犬がかなり近くを歩いているとき、耳を澄ませてほしい。トテトテと彼ら彼女らの肉球と小さな爪がアスファルトを鳴らす音が聞こえるから。個人的には大型犬よりも小型犬の方が愉快だ。軽快なテンポ、愛らしい足音。車の往来が激しい道沿いを歩いていたけれど、しばらく犬から視線を外すことができなかった。足音を聞く。

 唐突に昨日ストロー付きの牛乳(名前はおいしい牛乳だった)のパックを買ったことを思い出す。歩いているとそんな風に記憶がぽこぽこと湧いてくる。だから歩くのが好きだし、だから家に引きこもると私は仮死状態に陥る(引きこもっていると不思議と考えごとがはかどらない)。牛乳。美味しかった。おいしい牛乳だけに。でも2割引きのシールが貼られていたんだ。スーパーの閉店間際でもないし消費期限も迫っているものではなかったのに。不思議だ。お手頃だからという理由以上に「捨てられるとしたらそれは嫌だ」という考えが働いて、値引きシールの商品についつい手を伸ばしてしまう。そんなことをしたって食品廃棄の問題はそれこそ焼け石に水なのだろうけれど、人情というものもあるのだ。

 散歩に飛び出すにあたって、私はスマホと210円しかポケットには入れてこなかった。スマホは思いついたことをメモしておくため。210円は途中の自販機で飲料を買うため。210円なのはたまたまで、最低限100円あればいいかなと思いながら財布から適当に取り出したら210円だった。100円と100円と10円だ。ポケットの右と左にスマホと小銭をそれぞれ入れて歩いていると、一歩一歩足を前に運ぶたびにじゃらじゃら音が鳴る。一度その音にアンテナが合ってしまうと、なかなか耳が逸れてくれない。じゃらじゃらが気になってきたので、結局ポケットから210円を取り出して右手でぎゅっと握って歩くことにする。手のひらで生温かくなる小銭。歩いていたら飲み物を買うのを忘れてしまった。そういうこともある。

 ツツジが咲き終わる頃、私が見ていた風景はこんなものだ。ツツジは、花が散るというよりは花が萎む。赤紫ピンク白と色鮮やかに咲き誇っていたツツジの花は、じゅっと萎み茶色く変色しつつある。散るのとはまた別の終わり方。それも悪くないと思いたい。今日はこんな感じ。葬送。