潜水日記

思考の記録です。

リハビリ(20191207)

 書けているか。書けていない。調子が悪い。やっぱり曇天は苦手だ。カチコチに固まった何かを書くことでほぐしていかねばなるまい。でも書けていないから私はどんどん死んでいく。リハビリの文章。

 

2019/12/03のメモより

  深く深く潜りたいと改めて思う今日この頃

  確かこのブログは名前を一度変えている。元から「潜水日記」であったわけではない。

 

dorian91.hatenadiary.jp

 

 「潜る」というキーワードは本当にその通りで、他には湖とか白樺とか凪とかブルーとか泡とか、そういうイメージでやっている。飲み会帰りに都会の喧騒、ネオンの妖しさ、眠らない街、コートを纏う人々の群れ、流れに乗りながらぼんやりと「潜りたい」と考えている。潜ると音が一気に無くなる。だけど水は遠くの遠くの音まですぐに伝える。シャットダウンをしたい。一つの事柄についてじっと考えていたい。考えることがありすぎる。この世はとても賑やかだ。でも不思議なことに、音が無いと何も考えられないの。例えば私は普段よく音楽を聞かずただイヤフォンをしているのだけれど、それですら刺激がカットされてまるで荒野みたい。だからお出かけするときはイヤフォンを持っていかないようになった。この「音」とか「情報」に対する在り方?はずっと試行錯誤で上手くいっていない。怠けるし一番自然な形でやっていけたらいいと思う。「インターネットができない空間が欲しい」と思いながら、この文章はインターネットの大海めがけて今まさに投げ入れんとするこの矛盾をどうしたらいいのだろう。よくわからないことを書いてしまった。

 

忘れてしまうから

 多分私の「書く」の根底には「忘れてしまうのが勿体ないから」があるのだと思う。前は「理解」もあったのだけど今はあんまり思わないな。私は忘れっぽい。色んなしょうもないことを感じて思いついて考えるのに、3秒後には忘れてしまうのだ。忘れてしまったことを思い出すのはよほどのことでない限り無理で、私はその失われてしまったものがちょっと惜しい。「タピオカミルクティー飲みたい」と仕事しながら考えていても退勤間際になるとものの見事に忘れているんですよ悲しくないですか?飲みたいって思った時に無理のない範囲で飲めればそれはとても美味しい体験だと思うのに。そういうことばかり繰り返して色々メモするようになってメモしたことすら忘れて、もう泣きたい。日常生活で本当にこれ忘れちゃ駄目ってことは忘れないのでこれは私の性質なのだろう。書くことを続けている人には何かしらその人の「書く」ってのがあって、文章を読みながらこの人の「書く」って何なのだろう、とちらっとでもいいから考えるようにしようという思い付きは、多分何かを食べたら忘れてしまうだろう。ああ本当に悲しい。だからせめて書いておきたいなって思うのだ、その時に。あとからちょっとでも思い出せるように。

 

King & Prince『シンデレラガール』

 どうしても聴きたくてCDを買う。胸がきゅんとするからではなく、なんでしょうちゃんと聴きたいなと思ったから。メロディが中毒性があって何回でも聴けてしまうというのはある。「PM11時間近」「AM0時の鐘」を「じゅういちじまぢか」「じゅうにじのかね」と読むところが面白いなと思いました。これってすごく日本語。漢字とひらがなとカタカナがあってアルファベットも飲み込んでしまう日本語という言語は、どの言語と同様に面白いはず。熱量に眩暈がする。こんなエネルギーを持たないと、人間として生きる権利を得られないのか?と思うと割と落ち込む。もちろん誰だって生きる権利はある。生きる権利?権利ってなんだよそれ。Kingは王様でPrinceは王子様。王様 vs 王子様なら王様の方が強くない?と思うけれど、実は民衆からの親しみ厚い王子様の方が実権は握っていたりするんだよな…と思ったら「王様と王子様」なグループなのだった。私は宝石よりも太陽の光にかざして光るガラス玉の方がずっと素敵だと思うし実用的なガラスの方がずっと欲しい。ああ、HARIOのガラスのコップが欲しいです私。メンバーカラーが決まっていて、深紅、漆黒、ひまわりイエロー、紫、ターコイズブルー、濃いピンクと、ただで済まそうとしない感じに好感が持ててしまう。色に意味が生まれる瞬間。普段、色にイメージはついているけれど自分なりの意味は持たせていないということに気がつく。私は自分の手元には置かないけれどビビットな色が好きですよ。

 

 ということで書きながら考えごとをしていたら少し元気になりました。温かいものを何か食べようと思います。