ベランダの実験室

思考の記録です。

叫び、及び問題提起(20190306)

内省的思考を伴わない人間及び自分がどう思われているのかという視座にまったく欠ける人間はとりあえず私の周りには近寄らないでくれ、という暴力的な私の叫びは、そのまま自分にブーメランとして返ってくる呪いであり、私はこの十数年間、この呪いを持て余して生きてきた。私だって、ね…実践できてるわけじゃないのですよ。

厳しすぎる。

常にゼロの状態で、聴こえること目に映るもの、自分の行為それら大概がマイナスであるのだから、それは生きづらいし自分も周りも不幸にするだろうことはよくわかっている。自分一人でそれらを飼い慣らそうとして事実表面上はできているから話は厄介なのだ。私は社会的生活をまっとうに送ることができている。たまに思考が爆発してとめどなく落ち込む夜を除いて。

大変ズボラな癖に、一部はとても潔癖。

他者に、世界に寛容であれ。

どうすればそんなことができるのだろう。私がとった方法は、1つは「無関心」、1つは自分が見たいもの聞きたいものをなるべく摂取すること、だったのだと思われる。それでとりあえずは生きていけてたけれど対症療法という気がしないでもない。

私はどうすればいいのか。

とりあえず今日は問題提起に止めよう。