ベランダの実験室

思考の記録です。

サンリオの袋に呪詛(20190225)

サンリオの袋を持っているのが印象的な人だった。

50代から60代くらいの茶の背広を着た男性。その人は電車の座席に座っていて、鬱陶しそうに隣の人の肩を自分の腕で振り払ったのをたまたま目撃してしまった。

何もあんなに思いっきり振り払うことは無いのになぁ。冬は各々防寒具を着ているから着膨れするし、男性なら肩と肩がぶつかるくらいよくあることじゃない。嫌なもの見てしまったなぁ….と心の中でため息をつきながら、私はサンリオさん(便宜的にそう呼ぶことにする)をほんの少しだけ観察してみた。

といっても見るからに危なそうな人ではないし、何故にサンリオ?(キディランドとかそっちの方の可愛い袋)誰かの土産?孫?とかウダウダ考えながら、私は手元の本に目を落としてサンリオさんのことは忘れてしまった。

いくつかの路線が乗り入れている駅に停車した。

時間は真ん中に差し掛かり降りる人はもういないだろうと思っていたら、サンリオさんが突然ガバッと席を立った。で猛然とドアへ向かっていった。不意打ちに近かったので、本を両手で持っていた私はサンリオさんに押されてよろける。前に座る人に若干倒れこむ形になってしまい思わず「すいません」と私の口から声が漏れる。ぬー。岩みたいだったなサンリオさん。乗車率は80パーセントぐらいの車内、あの硬さで突っ込むかー、ぬー。

とつまりは私は押されて不快になったのでした。そう、これは愚痴です。

「すいません」と思わずこぼしてしまった言葉は、私なりの処世術で。とりあえず人あたりは良く生きましょう。店員さんにもちゃんとお礼を言うのです、が私のスタンスであって。これは悪魔に魂を売り渡してるわけじゃない。自分をすり減らしているわけでもない。私から失われるものなどありは…しない?しないよね?

ほんとうに?

「すいません」は流石に駄目だったのではないか、もっと不快な気持ちを表明するべきだったのではないか?とちらりと一瞬でも考えてしまったがために、私はこんな文章を書いています。

どうしたって私はきっと同じ振る舞いをしてしまうから、私はサンリオさんが夜道を転んで痛い思いをすればいいのにな、とだけ祈って小説の続きに戻ることにします。