ベランダの実験室

思考の記録です。

200(20190206)

 投稿記事数が200になった。

 「落ち込むこともあるけれど、私この街が好きです」と言ったのは魔女の宅急便のキキだったか。彼女のように朗らかに言うのであれば「落ち込むこともあるけれど、私、どうにか生きています」だ。手紙を送る相手などいないけれど。

 最近、最果タヒさんの著作をちょっとずつ読んでいる。今は『きみの言い訳は最高の芸術』を読んでる(2周目)。その中にこんなタイトルのエッセイがある。「作りましょうましょうましょう」。そうだそうだ、と思う。私の好きな文を書く人もっと書いてくれ。書いて書いて書いてくれ。「あなたも生きているんですね」と思いたいんだ。同時代を、今を生きているんだって、思いたい。ブログやTwitterの面白さってそんなところにあると思うのだけれど、でも、一方で頭のごく浅いところを文字が流れていっている感じもして、それは嫌だなと思う。もっとひりついた感覚を味わいたい。・・・。一体私は何を言っているんだ。

 「あなたも生きているんですね」という感覚に乏しいような気がして、私は毎日毎日とても不安だ。目の前の相手が生きていることはわかる。でも何を考えているのかはわからない。どうやって喋ればいいのだろう。何を言えばいいのだろう。あなたは何を言っているのだろう。私はそれに対してどう切り返せばいいのだろう。その恐ろしさを押し殺して(あるいは忘れて)私は今日も笑ってなんともないように生きているけれど、家に帰った時、トイレの鏡に映る自分を見る時、フラッシュバックのようにこの不安に襲われる。例えば、階段を下りているときにどっちの足を降ろせばいいかわからなくなって全身かけめぐる信号が一瞬止まるあの感じのように。私、どう生きていたんだっけ。

 生きていることは恐ろしく、不安だけれど、素敵なこともあると知っている。だから私は生きようと思っている。消えたいとは思っていたけれど、死にたいとは思っていなかった。死ぬのは怖いからな。生きるのと同じように。生きるのは続くことの恐ろしさ。死ぬのは一瞬に対する恐ろしさ。どちらにせよ怖いなら、私は生きて美味しいものを食べたいや、と思ったから私は大丈夫だった。大丈夫と思えたのだから大丈夫。しかし依然として生きることの恐ろしさは残ってるわけで、騙し騙し生きることになっている。

 全然わからないです。溶けたい。