ベランダの実験室

思考の記録です。

問題がある私たち(20190103)

 私たちには問題がある。

 今日、ふとそんなことを私は考えていた。

 

 問題がある私たち。

 良い人ばかりじゃない。違うな。良いところばかりじゃない。人間には良いところも悪いところもある。問題もある。自分には問題があるということを知っている人はどれくらいなのだろう。他者の問題を指摘して、そこで立ち止まって、自分は?自分には問題がある?と考える人はどれくらいいるのだろう(盛大なるブーメランの予感)。

 私はあなたではないので、あなたの問題そのものを解決することはできない。解決の手伝いをすることはできるかもしれないけれど、まあそんな気持ちもない。

 薄情だけれど、私はあなたの不在を悲しまないと思う。でもあなたがいてくれた方が良いと思う。あなたの悲しみにも寄り添えないかもしれない。あなたの怒りや苦しみを理解することができない。だから私に何を言っても無駄なのかもしれないな。つまり、私は他人に興味がない?

 誰かに救われようとしないで。自分で自分を幸せにして。そう思ってしまったんだな。もちろん話は聞きたいしできる限りのことはしようと思うけれど、私だって今日を生きるので精いっぱいだ。

 その人は体重が28kgだと笑いながら言った。手足が棒のようで、私は見ていられなかった。じゃあ私が見たくないから、私があなたのこんな姿を見たくないから幸せになってくださいって言ったら、あなたは健康的であろうとしてくれますか?んー。違うな。それでは何の解決にもならない。

 問題がある私たち。問題があってもいい。せめて自分で生きようとしてください、ってことだろうか。あとは他人につべこべ言わないこと。私も言わせないこと。理解してもらおうと思わないこと。理解されたいと願わないこと。理解したいという声には耳を傾けること?

 生産性がない会話は嫌いだ(何を「生産的」と考えるかの匙加減が難しい)。わかりきったことを傷の舐め合いみたいに確認するぐらいなら、もっと楽しい会話が他にあるだろうって思ってしまう。

 

 これだから親戚の集まりは苦手だ。