ベランダの実験室

思考の記録です。

日記(20181231)

 大晦日は家にいたくない。大晦日は外に出かけたい。ということで、今日は家を飛び出して街の中をカメラを持ちながら歩くことにした。

 

晦日の街


 大晦日(含む年末年始の休み)は街にあまり人がいない。多分普段よりたくさんの人で賑わう場所もあるのだけれど、基本的に人々は家に潜んでまったりしているのではないかと思う。
 普段は人々で賑わうけれど大晦日だけひっそりとする街を歩くと、私は不思議な高揚感を抱く。人がいないことが私を嬉しくさせる。それってどうなのだろう?と思うけれど、好きなのだからしょうがない。私のこの傾向は人嫌いなのだろうか。人を嫌っているというよりは、自分が見る世界を愛しすぎなのではないかという気がしている。

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こういう休みの時は基本的にビジネス街は死んだ街になっていてとても好き。

 

白髪ねぎ牛丼


 歩いてお腹がすく。おなかがすいてから食べる食事ほどおいしいものはない。空腹は料理をおいしくさせるスパイス。
 ビジネス街の中ひっそりと営業していた牛丼チェーンに入る。久々の牛丼だと思ったけれど、最近も食べたのであった。牛丼は好き。
 牛丼は世界を映す鏡のような気がする。日本の外食産業の中でもなかなかの低価格。労働者の為の牛丼。本当の現実はどこにあるのだろうと思う。少なくとも一等地の駅ビルの中の予算1000円超えのレストランにはない。都会の牛丼はなかなかに寂しい気持ちになる。でも、おいしかった。いつのまにか並盛でもおなかいっぱいになっている自分がいて、ああ、私も日々変化しているのだなと思った。

 

銀杏並木


 ぎんなんという食べ物のおいしさに気がついてから、銀杏並木に対する愛着は増したように思う。冷たい風に煽られながら歩道の脇に立ち並ぶ銀杏の葉がはらはらと地面に落ちていた。綺麗だなと思った。

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かごに溜まった銀杏の葉が気になったもので

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どこでも木々は綺麗だなー

 

 今日も明日も変わらない。しかし微妙に変化している。それが人生だと私は思っている。365日また生きるのかと思うと、別に死に焦がれているわけではないのに暗澹たる思いがしてくる。私の憂鬱にさせるのは、多分365日×24時間の重みだ。生活をしないといけないのだ。その重みを感じさせる大晦日が、私はあまり好きじゃない。
 今日は早く寝てしまおうと思う。寝たらいつの間にか今日が終わっているから。

 明日もまた同じように生きていきたい。