ベランダの実験室

思考の記録です。

ミルクティーの所作(20181223)

 私の机の上には、埃をかぶったマグカップがある。
 外は滑らかな白、中はふんわりと柔らかなピンク。
 色彩としては今の私だと主張が強めな濃い色を好みがちで、こういうピンクの色はむしろ苦手とするものだけれど、マグカップとしては正しいピンク色だと思う。そこに温かな飲み物をいれるのだ。色の主張は必要ない。それに、温かな飲み物を飲みたいときは往々にして気分が塞ぎこんでいるときなのだから。
 何故そのマグカップが埃をかぶっていたかというと、長らくペン立てとして利用していたからだ。
たくさんのボールペン、シャープペン、赤ペン、油性ペン、定規、カッター、鋏。文房具と呼ばれるものがとにかくごちゃごちゃ立てられていた。
 私はここ数年「ものを捨てる」ということを意識下においていて、突然深夜の断捨離作業をすることがある。文房具も然りで、使わないものは全部一切合切処分してしまった。立てるものがなくなったマグカップはお役御免となったわけだが、私はマグカップとしては別のものを既に使っていたし、かといって私以外の人に使われるのも嫌だったので自分の懐に忍ばせていたということだ。マグカップとしての本分を全うさせないまま、長い月日を過ごさせてしまったのは申し訳ない。
 ふと、今日、そのマグカップを使おうと思い立ったことに、特に理由はない。強いて言えば今日の私はずっとノートを目の前に開いてペンを持ちしかめ面をしていたことぐらいだろうか。世間の圧力がとどかない静かなこの部屋で。静寂。外は雨が降っているようだ。あとはきっと年末だからだろうね。机周りを少々整理整頓したことも挙げられる。それに、今日は寒い。
 カップの中は灰色のもくもくとした埃が紛れ込んでいて、それを水で一気に流す。埃は簡単にゆすいだだけで瞬時に消え去った。そういうところが食器洗いの良いところである。油汚れは別だけれど、食器は洗って何度も使える。素晴らしい。
 湯を沸かす。ケトルがなくなってしまったので薬缶に水を入れる。少しの量なのであっという間にふつふつとした音が聞こえてくる。カップティーバッグを入れる。ティーバッグを見て思い出すのはアニメ「おじゃる丸」のうすいさんだけれど、うすいさんは28歳らしい。妙に設定がリアルなものだ。私も遠いところに来たものだ。6歳の私は自分が28歳になる未来なんて全く想像だにしていなかっただろう。今の私も同じだ。でも、想像できないんじゃない。想像したくないんだ。
 少し考えたのち、ミルクティーにすることした。少し濃いめに紅茶を作る。私は細かくないので時間も量も適当である。作るたびに味が変わるミルクティー。それが良い。そこを良いと思ったほうが良いと思っている。
 結果的には味が薄くなってしまった。もう少し紅茶を濃く入れたほうが良かったみたい。甘いミルクティーに慣れている分、自分が作ったミルクティーは砂糖を入れたにも関わらず甘さが欠けて全体的にお湯っぽくなってしまった。残念。でも、温かい飲み物であることに変わりはないから良いです。
 埃を被っていたマグカップを洗ってミルクティーを飲んだ。普段使っているカップよりこちらの方が持ちやすく可愛く飲みやすいことに気がついた。淵の部分が厚めにできているからだろうか。こちらをこれからは使っていきたいかな。マグカップは容易に買いたくなるのに捨てにくいのが難点なところである。私はこの子をあとどれくらい使っていけるだろうか。ずっと。ずっと。

 気持ちが沈んでいた。そういう日がある。世間が明るい時なんかは落ち込みやすい。自分が大切にしたいものが揺らぐ。大切にしていいのだろうか。大切にしたいという気持ちは間違っているのではないか。つまり私は間違っているのではないか?と。だから今日私はノートを広げていたし、静かな部屋に一人座っている。
ミルクティー。私を現実につなぎとめてくれる存在。意識的にそういったものを作っていかねば、私は糸の切れた凧みたいに風に弄ばれてどこか遠くへ行ってしまうだろう。それも、ありといえばありか。しかし今はまだ糸が切れてほしくない。私という凧が頑丈になったら、自分から糸を切って大空に舞いたいって、思った。