ベランダの実験室

思考の記録です。

おにぎり・梅(20181219)

おにぎり・梅

食べられないものはありませんが、なかなかに好き嫌いがあります私です。差し出されたものは好悪に関わらずしかめ面することなく食すものですが、自分からは決して挑もうとしない食べ物は世の中にたくさんあります。

例えば、かぼちゃとか。これが一番の好敵手。他には麺つゆとか、甘い煮付けとか、破格的に甘いデザートなんかも苦手とするものです。多分塩っぽいものが好きなんですね。

そして忘れてはならないのが「酸っぱいもの」。食べるけど。食べるけど。酢の物とかは内心「くぅぅぅぅ><」となりながら口に運び、酸っぱさに心の中でしかめ面しながら咀嚼し胃に流し込みます。

ということで、おにぎりなら梅は絶対手を伸ばさない具だったはず、なのだけれど。この度私はおにぎり・梅の素晴らしさに目覚めました。ごめんなさい梅。今まで蔑ろにしていてごめん。ツナマヨばかり手に取っていてごめん。これからはあなたを選びます。ツナマヨも相変わらず好きだけれど。

つきましては梅味のおにぎりにお詫びと、素晴らしき再会を祝福しまして筆をとった次第です。

 


今回ガツーンと衝撃を受けた梅おにぎりはいたって普通のコンビニエンスストアセブンイレブンのおにぎりでした。

普段は食べないのですが珍しく軽食用におにぎりでも食べるかと思い陳列棚の前で迷うこと3分。

「たべたいものが、ない」

見渡せど見渡せど、この中にたべたいおにぎりが、ない。どういうことなのでしょう。パンよりご飯。おやつはチョコよりおにぎり。おにぎりを愛しご飯を愛する私が、おにぎりを、食べたくない…?もしかして私体調悪い?

体調が悪いというわけではなく、単純にその時お腹が満たされていたことと気分によるものだと思います。が、とにかく食べたいおにぎりが無くてですね、途方にくれるわけです。そこでサンドイッチとか菓子パンとかそこに発想がいかない私が私たる所以なわけで、食べたいと思うおにぎりはないけれど私はおにぎりを食べたい、いや、食べるんだ!!!という謎の使命感にメラメラと燃えて1分。

ツナマヨ、重い。

鮭、なんか違う。

おかか、苦手。

塩むすび、何もなさすぎる。

チャーハン、おにぎりとして邪道なのではと今日は変につっかかりたい気分。海苔に巻かれたおにぎり食べたい。いつもは好きだよありがと。

むー。無い。

そして、今の私はおにぎりを美味しく食べられないのか…と諦めかけ追い込まれた私は、今まで見向きもしなかった彼(彼女)が選択肢としてありうることを発見したのです。

その名も「梅」。

瞬時にその味を私は想像します。きゅーんとくる梅肉の酸っぱさ。いやはや。これはもしかしてとても素敵な思いつきなのでは?今、少々もたついている私の胃袋にぴったりなのでは?脂っこいものは受け付けないけれど今なら私は美味しく食べられる気がする。

結果、めちゃめちゃ美味しかった。あまりの美味しさにびっくりした。

パリパリの海苔。ギチギチでもなくほろほろでもない絶妙な加減で三角形に成形されたご飯。その中に控える、ほぐされた梅肉。海苔、米、梅。パリパリの後のほわほわの後の、どかーんとした梅の酸味。

完璧なトライアングルがそこには存在していて、本当に美味しい梅おにぎり。梅は肉でもないし野菜でもないし単なる果実であると思うのだけど、梅干しはここまでジューシーなのだなと感激しました。本当にジューシー。梅肉とはそういう意味であったのか。じゅわっと梅肉が口の中で溶けるのに油っぽくないので幾らでも食べることができそうという軽快感。梅おにぎり、素敵。とても素敵です。

 


これが梅干し単体で食べられるかと言われると答えに窮してしまうのも梅おにぎりの素晴らしさの証だと思います。単体では酸っぱすぎる。そのとろける梅肉をきちんと受け止めて染まることができる白米があり、その白米をしっかりと包み込む海苔があってのこそのこの調和なのだと私は思いました。

梅おにぎり、素晴らしい。

 


ということで、夜のおやつ(おやつ!?)用に帰り道にまた買ってしまいましたとさ。