ベランダの実験室

思考の記録です。

日記(20181202)

正直に今、書くことがない。

書くことがないなら書かなくていいじゃないか、と思っているけれど私はパソコンの前に座ってキーボードをカタカタと叩いている。

 

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この休みは酷いありさまだった。今日はほとんど床に臥せていた。昨日は先日歩いているときにパシャパシャシャッターを切ったフィルムカメラ(映るんです)を現像しに出かけた。本当は美術館に行きたくて(東山魁夷展かピエール・ボナール展かそれ以外か)出かけたのだけれど東山さんは最終日前日ってこともあって人の多さを想像してしまったらげんなりしてずるずる引きずって結局行けなかった。本当に惜しいことをした。美術展は最近は調べるようにしているのだけれど、東山さんのは何故だか漏れていたみたい。知っていたらもっと早くに行っていたかもしれない。行かなかったかもしれないけれど。

でも現像したフィルムカメラはなかなかに良い写真が撮れていて少しだけ気分が回復した。ピントを調節するとか、出来栄えをモニターですぐに確認するってことができないところが良い。今はなんでも整えることも確認することも簡単だから。あえてデータ化せずプリントしてもらった。お店の人から紙袋を受け取って、ごそごそと漁って出来上がった写真を取り出す。お店から出てすぐに写真を一枚一枚歩きながら確認した。うまく撮れてないのもあるけれど。一番気に入ったものを持ち歩いているノートのページに挟んで、それ以外はしまう。写真は好きになりたいけれど習慣にすることができていなくて、さてさて、と思っていたのだけれど、もしかしたら現像するのがいいのかもしれない。物質としてここに写真が一枚ある。それが好きなのかも。

体調が悪い。風邪を引いた模様。寝ているとき、あーこのまま死ぬのかー(風邪としては非常に軽微で熱すら出ていないのだが)と思って無性に悲しくなってしまった。自分の不甲斐なさとか嫌なところとか脂肪とかそういうものが悲しさとして差し迫ってきて、いつの間にか3時間くらい寝ていた。酷い気分だった。その状態でこれを書いている。

楽しみにしている文章が、ネットの世界にはたくさんある。早く何か書いてくれないかな。この人元気にしているかな。楽しみにしているってことはそういうことだ。

私のブログ原体験は、多分こうして時々投稿される好きな人の好きな文章なのだと思う。好きな文章を書く人が毎回好きなことを書いてくれるわけでもなく、そういうのも含めて私は好きなのだと思う。この人も色々と大変そうだけれど今もきちんとどこかで生きているんだな。そう思えることが私には結構「救い」になるみたい。

 

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何が言いたいのかよくわからなくなってしまった。元気がない夜。ちょっと時間ができてしまうとこういう状態になってしまうのかもな。