ベランダの実験室

思考の記録です。

時間(20181123)

ふと視線をあげて今の時刻を確認する。

卓上のデジタル時計の時刻は2:35を表示している。ほう。それぐらいか。

しかし遅れて頭の中で脳が計算を始める。さっきスマートフォンで時刻を確認したとき、14:10くらいだったけれど、それから25分くらい経っただろうか。本当に?まだそれしか時間は経過していない?念のためスマートフォンの待ち受け画面でも時刻を確認する。14:55。おっと。これは…。

種明かしをすれば、卓上時計の電池切れで電源が落ちていたため時刻が遅れてしまっていたらしい。本来はスマートフォンが表示する時刻が正しい。

そして、思う。時間は人間が生み出したものなのだな、と。

卓上のデジタル時計をちらっと見た瞬間、私にとっての現在時刻は確かに2:35であった。そして本当は14:55が正しかった。でもそれって便宜上の問題で、イギリスだったら時差は9時間発生する。時間という一見目には見えない難しい存在をどうにか可視化しようとしたものが時計。それはあくまで人間が決めたもの。1日、1週間、1か月、1年。誕生日。年齢。切り刻まれた時間は、社会を維持するため、人間が共に生きるためにはとても便利なもので、私は毎日(これも時間が切り刻まれた功罪)時間に縛られながら、あるいは、時間を頼りながら生きている。時間を疑いだすと、ありとあらゆる行事がつまらなくなるのでおすすめはしない。年末も年始もクリスマスもハロウィーンも。

ということで、年末が近づくにつれ私は落ち着かなくなる。今日も明日も明後日も。同じ1日。同じ24時間。それすら人間が便宜上設けた区切り。朝がやってきて夜がやってきてまた朝がやってくる。本来はそれだけなはずなのに。

 

もし私が時間に拘束されずに済む状況になったら、身の回りからありとあらゆる時計を廃してみよう。その時感じた時の流れを、ぜひ記録に残してみたい。時間がない生活、どうなのでしょう?