ベランダの実験室

思考の記録です。

呪い(20181104)

髪を切った。

人生の大半は短い髪で過ごしてきたが、大学生活から今日までは髪を伸ばしていた。

髪を伸ばしていたのは、人一倍くせが強い髪質のせいで縮毛矯正もかけていた。髪の重みでくせをどうにか手懐けよう、という目論見だ。

が、うんざりだ。だから私は髪を切った。

 

スカートを制服以外で履いたことがない。嫌だからだ。それと同じ感覚で、私は髪を伸ばしている自分が嫌いだ。だから日中は髪を結うことで妥協してここまでやってきた。でも、その紐を解かないといけない瞬間は必ずあって、私はそれを見るのが嫌いだった。

女らしさが嫌い。そう簡単にまとめてしまうには抵抗がある。女とか男とかどうだってよくて、私は好きではないものを身につけたくないだけなのだ。

しかし「装う」こともまた苦手なことである。装いに関わることがすべて面倒くさい。面倒なのに、社会で生きていくためには最低限必要なことらしい。「面倒くさい」と「それでも必要みたい」という矛盾に対する答えを、私はいまだに見つけられていない。

生きることって、とても手間がかかることだと思う。そこに手間をかけたくないんだけどなぁ…と思うところに労力を割かないといけないのはとてもストレスだ。

 

「社会的である」ということについて考える。この言葉を前に私は途方に暮れる。私はきちんと誰かと繋がることができたという経験がないからだ。

不正解も正解も無いけれど。私はいつも「不正解」な生き方をしているような気がしてならない。それがこの所在の無さの正体なのだろうか。いつになったら「正解」だと思えるのだろう。

美容師さんと「良い話はないのかねぇ…」という話題になった。私はこれからも一人なのだろうか、と髪を切られながら考えていた。死んだ方がいいのかな、って率直に思った。違う。一人で生きることが嫌なんじゃない。自分の人生が「正解」って思えないのが、すごくしんどいのだ。

 

どうしたら「正解」って思えますか。どうしたらこの苦しさは消えてくれますか。