ベランダの実験室

思考の記録です。

本屋にて(20181013)

ひさびさに本屋に行った。

本、鞄、ピアス、音楽。

私の好きなものは私が手に入れられるお金と共に増えていって、それならば働くことは良いことだなと思う。お金があれば、手が届きやすくなる。楽しみ方も増える。

好きなものについて考えることは、未来を考えることであり、自分のことを前向きに考えることでもある。

本屋に行く。

目の前の本の海を前に、私は自分の関心ごとを探る。自分はどんな人間なのか。何が不足しているのか。何が知りたいのか。何が疑問なのか。何をしたいのか。本と向き合うことは、自分の心と向き合うこと。だから中身を読まないにしても本の背表紙と向き合う時間が減るということは、何かが澱むということ。

 

人文系の本棚に向かう。小説は今日はいいや。

頭が良さそうな本の前に立つ。考えるのが好きで、世界に常に関心を持つ人たちの主張とひらめきの結晶みたいなエリア。私は頭が良くない。難しいことはよくわからない。でも考えたい。だから少しずつ難しい本を読みたいなという向学心みたいなものが沸いている。

と、本棚の前に先客が。大学生?いや院生の方々だろうか。金髪の人もいれば眼鏡をかけた人も女性もいる。なにやら買う本を漁っているらしい。

悪趣味ではあるが、自分の本を選ぶ一方で彼ら彼女らの会話に聞き耳をたてる。

会話の内容が頭が良い。よくわかんないことを言っている。ほえー。普段なかなかそういう会話ってしないものだと思うのだけど、よく喋っている。

勉強をしたいな、とふと思う。実用的な知識なんて何もいらない。即効性がある本じゃなくて、じわじわ効くかもしれない本を読みたい。Excelスゴ技、とかほんとどうでもいい(どうでもよくはないのだけど)。

 

しんどくなったらこれからも本屋に行こう。価値とは相対的なものであり、世界の見方は様々である。死にたくなったら本屋に行く。自分は一人じゃないことを思い出すけれど、結局は一人であると気がつかされる場所。私にとって、今日の本屋はそういうところだった。