潜水日記

思考の記録です。ブログの名前を変えました。

書くことがない(20181008)

毎日何かを書こうとは思っているけれど、何も書くことがないので、「書くことがない」ということについて書こうと思って、この文章を書き始めている。

 

そういうときは「初心にかえる」というのが良いだろう。

「毎日書く」ということについてはここで言及している。

dorian91.hatenadiary.jp

 

できれば自分のこと以外の自分の文章を書きたい。もう自分の中の沼を見つめるのは飽きてしまったからだ。掘り出せるものもたかが知れているし。それならば私以外のものについて喋ろうじゃないか、ということである。

「毎日」と「言葉が満ちる人」(20180921) - ベランダの実験室

そうですそうです。

「書く」ということとは、時の流れに乗って消えてしまう何かをこの場所に留めておくことじゃないかなって思っているのです。だから、書いておきたいのかな。

 

何かを書くことを意識的に始めたのは中学2年生のとき。

元々小学生の頃に、漢字ノートを利用して自学用のノート作りに凝っていたときがあって、その延長線で色々なことをノートに書き始めた。

主にその日の嫌なことを書いていた。モヤモヤしていることを、少しずつ少しずつ。

でも、面白いことに、なかなかうまく書くことができなかった。誰かに見せるわけでもないのにノートにすら私は自分の本心を書くことができなかった。

他人の悪口は言っちゃいけないと思っていた。不満を言ってはいけないと思っていた。毎日楽しく生きないといけないと思っていた。良い子でいなければいけないと思っていた。だからクラスのぎすぎすした雰囲気とか、どうも他の子たちとうまく喋られない。喋ることがストレスになってしんどい。そういうことを書くことすらできなかった。

でも少しずつ書き始めるようになっていった。慣れたというのもあるし、私は自分が書いた文章をほとんど読み返さなかったということもある。書くことで書くことの任務は終わっていた。何を書いても他人どころか未来の私ですら読まない。謎の安心感もあり、ようやく色々なことを書くことができるようになっていった。

 

書いたところで劇的に何かが変わるわけではない、ということを知ったことも大きいのかもしれない。同じことを願い、同じことを書いて、また同じことを願う。記憶はつながらない。螺旋のようにくるくると同じところを通るだけ。私は書くことに夢みたいなものは抱かなくなった。でも、書くと気持ちが整理されているから書いているだけ。自分の言葉を。見た風景を。感じたことを。尊いことなんかじゃない。

 

誰にも届かない言葉たち。届けようと思っていない言葉たち。毎日毎日私はそれを吐き捨てるだけ。かもしれない。

 

んー。

それならば。

私は、素敵な言葉を吐きたい。宝石職人になりたい。意識的に、宝石を作るのだ。良い言葉を、作りたい。と、ふと思った。どうすればいいのかわからないけれど。

 

結局、色々と書けるものだ。