ベランダの実験室

思考の記録です。

三分の一(20181001)

三分の一の人に私は惹かれる。

 

夜風が涼しい街中を一人歩いていると、黒の重たいスーツを着た若者の群れと立て続けにすれ違った。男性もいれば女性もいて、今日は10月1日だから内定式なのかな、と思いながら彼ら彼女らと反対方向に歩く。

特に感傷もなくて、働くことは私にとってもお金を得るための手段だからまあ働くよな、今の自分の状態で仮にタイムスリップしたところで4月からちゃんと働こうと思うだろうよ、例えそれがほどほどの地獄だと体感してわかっていたとしても、なんて一人気障に笑って。

 

私の関心は初々しい彼ら彼女らの姿ではなく、軍団の後方に付いて、ちょこんと所在がなさそうに歩いている人に自然と向けられる。

その軍団が内定式帰りだとするならば、きっと今日が初めましての状態で、そこから一斉にヨーイドンしているのだろう。親睦を深めようと探り合い、駆け引きが行われている最中なのかな。となると、そろそろ個人のコミュニケーションスキルが否応なしに顕出する頃合いか。

人間には早々に人と打ち解けられる人もいれば、じっくり他者と交流を深める人もいる。どちらが良い悪いではなくそれはタイプの問題で、どちらにせよ恥じる必要は無いのだけど、この世の中すぐに打ち解けられる人の方が人の覚えが良い気がする。

 

他者と打ち解けられるかどうかとは別問題かなとも思ってきたけれど、「三分の一」問題とは聞いたことがないだろうか。今私が勝手に名付けた名前だけど。

 

人が三人集まると必ず二対一になる瞬間がある。そして微妙な雰囲気になること。それが「三分の一」問題。

私は三分の二になることはかなり珍しく、よく三分の一になっていた。群れの先頭か、群れの最後尾でよく一人で歩いている人間だった。先頭になってしまうのはさっさと歩いてしまうから。最後尾になってしまうのは風景をゆっくりと見たいから。

三分の一の人を見かけると「頑張れ」と自然と心の中で応援してしまう。何が「頑張れ」だ、って思うけど。三分の一でも怖じる必要は無いし、堂々としていればいいじゃないと思う。けど、三分の二にならない心細さや不安はわかるから。応援する。

三分の一が三人集まれば一になる。そうしたらまた三分の一が生まれてしまうのだろうか。面倒だから私はずっと三分の一でいたいな、って思った。

 

三分の一の人と、私は友だちになりたい。意地悪かな。でも、あなたが三分の一になってしまう理由が知りたいの。きっとあなたを三分の一にしてしまうものは、物珍しい何かで三分の二の人たちは決して持ってないものなんだわ。私は珍しいものが好きだから。人と同じことが嫌だから。

 

そんなことを思いながらすれ違う彼ら彼女らを見送り、私は自分の道を歩くことにした。