ベランダの実験室

思考の記録です。

ジョギング(20180922)

ジョギングを再開した。

7年前から始めたり飽きたり走らなくなったり始めたり。その繰り返し。最初は続かない自分に嫌気が差したのだけれど、もはやそれにすら慣れてしまい、ただ走りたいときに走ることにしている。

何故走るのか。その理由についてはまた別の機会にとっておこうと思う。今日は「走ること」についての文章だ。

 

走る。何も考えていない。好きな曲を体に流し込みながら、ただひたすらと走る。スピードは遅くて(といってもこれが私の現在の実力)最近やっとキロ8分40秒くらいのペースで走れるようになった。大体キロ9分くらいが楽。

走る。走りたくないなぁ…と思いながら、それでも走る。無理はしない。体が痛くなったらすぐに歩くこと。息が上がるくらいのペースでは走らない。ふらふらしている7年間で色々なことを覚えた。その結果、とても楽に走れるようになっている。

 

学生時代、私にとって走ることは日常的ではなかったけれど走る機会はあった。なんと嫌な時間だろうと思っていた。負けず嫌いだけれど、人より早く走れないのが嫌だった。自分の適正なペースで走ればまだ気持ちが良いものだ。しかしペースをかき乱されて走ることは拷問に近い行為だということが、今ならわかる。

 

今ならわかることが、たくさんある。今の自分ならもっとうまくやれるような気がする。けれど過去はもう2度とやってこない。少し、むかつく。

 

走ることは前向きな行為だ。自分のことを考えなくて済む。ただ走ればいい。だから嫌いじゃないのかもしれない。

 

走ることは正義だ。正しいとされている。眩しいくらいに。でも走ることは良いことなのだろうか。ピカピカに光り輝く完璧なものが、少し苦手だ。マラソンもそう。健康的。明るい。挑戦的。スレンダーな体型。ストイック。天邪鬼な自分が顔を覗かせる。それでも走っている。なんだろう、走ることは完璧なことじゃなくてもっとドロドロしていてみすぼらしいんだぞ、ってことを声を大きくして言いたい。

 

ということを考えていた。

何もないところから何かを書くのは大変だ。でも、やってみたい。