ベランダの実験室

思考の記録です。

浮き輪がある

浮き輪が家にある。

どうやらきょうだいが買ったようである。どでかい浮き輪が家の片隅に鎮座している。

海に行ったのかプールに行ったのか、あるいはこれから行くのか。その浮き輪は任務を果たしたのか果たす前なのか。私にはよくわからない。ただ、浮き輪がある。

浮き輪本体の直径は1mくらい。かなり場所を取る。無視できない存在感。

 

「夏休みあなたは何をしましたか?」そう聞かれるのが嫌であることにふと気が付く。何故ならこの夏はこれといって何かしたわけではないからだ。他人より圧倒的に思い出が少ない。そう思ってしまうことと、そこに劣等感を抱くことが、「嫌」という感情の根元にあるのだろう。「冬休み何をしましたか?」という質問の方が気持ち楽になれるのは、正月休みでゆったりと過ごすことはよくあるスタイルだと思えるからだろうか?

 

どうやら私は浮き輪に劣等感を感じてしまうらしい。浮き輪は「リアルに充実している青春」の象徴なのだ。いいなぁ…浮き輪。

 

あの頃は確かにもう戻らない。戻らないものに思いを馳せても仕方がない。

もっとこのように生きれば良かったのではないか?時を超えても普遍的に人間に備わっている自分の人生のある瞬間を後悔する思考活動。浮き輪をぷかぷかと浮かべながら波に揺れることはできるけれど、そこに私の憧れる「リアルに充実している青春」は存在しない。

このほんの少しの痛みに、つかの間酔うことにしよう。きっと明日になればこの痛みは消えていくだろうから。

 

私の家には浮き輪がある。でもそれは私の浮き輪ではない。