ベランダの実験室

思考の記録です。

ctrl+f

ctrl+fができないということが、アナログであるということであり、体から逃れられないことである、と思うのだ。

 

パソコンでこの文章を読んでいる人は、ぜひctrl+fを押してほしい。ctrl+fはページ内検索ができるショートカットキーの組み合わせ。自分の調べたい単語がこのページにはあるのか瞬時に検索をすることができる。

 

 

私は、ある本の中に登場する、ある言葉を調べたかった。その本は索引性に長けた辞書ではないし、理路整然と主張が章ごとに分かれた研究書でもないし、簡単に言うと目次もなくただただ誰かの人生が流れていく物語だったものだから、探すのにとても苦労した。

私が探したかったのは、その物語の重要なアイテムとなった「ホームズの歴代作品が書かれたメモの中身」だった。私は今シャーロック・ホームズにハマっているのだ。『まだらの紐』とctrl+fで検索をかければ、瞬時に該当の個所が見つかるというのに。ほら。あなたもやってみて。ヒットするでしょう?

しかし、本だとそうもいかない。言葉が載っている箇所の見当がつかないので、私は仕方なく最初からページをぱらぱらとめくる。

ぱらぱら紙をめくりながら、私ははたして「電子書籍を買いたいか」ということを考えていた。正直ctrl+f(に準じる検索機能でも良い)が欲しい。こうしてぱらぱらページをめくっている時間はまどろっこしい。が、何か大切なものを悪魔に明け渡しているような気もしないでもない。考えすぎではあるが。

 

不自由性を少しは大切にしていきたい。

何故?と聞かれると言葉に詰まる。が、不自由でもありたい。不自由であるということは何かは自由である。自由であるということは、何かが不自由でもあると思うから。

きっとctrl+fができていたら、私は「ある本」をもう一度読み直してはいない。言葉を探しながらかつて読んだこの物語の内容を頭の中で反芻する。どのシーンが面白かったか、今読んだら私はどう感じるか。かくして、私は今日、通勤中にこの本をもう一度読み直していた。久しぶり読んだけれど相変わらず面白いし、あの時とは違う感想を抱いている自分がいて良い。

 

ctrl+fがない代わりに、私はもう一度本を楽しめる機会を得られた。

ctrl+fもまた、大変便利なものだ。