ベランダの実験室

思考の記録です。

「中華料理屋」

美味しい食べ物を食べたいと思うので、食べ物レビューのサイトを開いてみる。星4と星3.5の違いが私にはよくわからない。私は美味しいものを食べたいだけなのに、星の数は美味しさの数値なのだろうか。私の「美味しい」には、もしかしたら「行列に並ばずすぐに食べることができる」「客層がおとなしめで緊張せず食べることができる」など味覚以外の要素も入っているのではないか。でも、目の前の端末で表示しているサイトにはたくさんの人の「美味しい」がごちゃごちゃ混ざり合っていて、よくわからないものになっているのではないか。

ここまで考えて、私は端末をポケットにしまう。便利な世の中になったけれど、そこから爪弾きにされた感覚。仕方ない。自分の足でお昼ご飯の場所を探そう。

こういうやりとりを何回もして、結局今はお昼ご飯を外出中に食べることになった時のルールみたいなものを作った。

「よくわからない中華料理屋に入ること」

これである。実際中華料理は香辛料を使っていたりすることもあるので、自分の胃に相談なのだけど。以前麻婆豆腐を食べたら、山椒がものすごく効いていて、午後は胃に不快感を感じながら過ごすことになってしまった。

「よくわからない中華料理屋」というのは、例えば看板がちょっと古くて胡散臭かったり、ビルの半地下でひっそりとやっていたり、あんまりお客さんが入ってなかったり。「どうしてこの店営業続けられているのだろうか」という独特の雰囲気を醸し出しているお店のことだ。

大体中華系の方々が働いていて、お店上のやりとりも中国語っぽいもので、ちょっと不愛想で、で、定食はどっさりと小皿が付いてくる。デザートの杏仁豆腐は高確率でついてくる。

 

何故そういうお店に行くのかというと、言葉を理解できないということが自分にとっては良い作用をすることもある、ということだ。日本語は意味が分かる。音に焦点があってしまうとなかなかそこから逃れられないので、聞きたくない内容の会話こそ、聞き耳を立ててしまう。せっかくのお昼ご飯に、そんなことしたくないではありませんか。でも、そもそも言っている意味が分からないのであれば理解しようがなく、私は目の前の定食に集中できるのです。

食事中はイヤフォンをしない。これは自分にとって自然なことで破ることができないものなので、仕方なくこういう措置に落ち着いた。

日本の接客業の良い部分、生真面目さから逃れることができるところもいい。中華料理屋の人はちょっとだけ適当だから。思いつめた表情でお店に入っても、ご飯を食べてば、「ま~~~死ぬわけじゃないし、ほどほどに力抜いていっか」と思える。良い。

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これ、豆腐のあんかけ定食なのですが、ご飯の上にあんかけがかかっているのですね、だけど、左下にちゃっかりご飯(一人前)がついている。これ、定食屋の効率を追求したサービスの結果で、メインを除いたセットを既に何膳も用意しておいて、メインが出来上がったら中央に配置して配膳するというシステムがもたらしたもの。私のあんかけご飯の「ご飯」が見事あんかけに隠れてしまった故に、茶わん一杯のご飯もついてきた、ってところでしょうか。そういうところ、大好き。

※なお、店員さんに言うのも面倒なのですべて平らげた。超後悔した。