ベランダの実験室

思考の記録です。

「どこに行くのですか」

「週明け2日間休むからよろしく」

誰かから言われたとして。

「へーどこか行くんですか?」

「お土産よろしくお願いします」と言える人を、ちょっとだけ尊敬する。

 

私は滅多に自分のことについて言及されないものだから、誰かから「治野さんって、○○ですよねー」という意見をいただくと、それはどんなものでも貴重なものと捉え、注意深く聞くようにしている。

これ、自分でも危ないなと思っていて、それは発した言葉をそれほど重要なものと捉えていないで放り投げる人が、世の中には存在するからで(私もそのうちの一人だろう、きっと)大切に大切に、お守りのように、あるいは、クッキーの缶に丁寧に保存するように、自分の中でしまいこんでいると実はとんでもない呪いの言葉だったりするのである。

というわけで、危ないけれど丁寧にずーっとしまってある言葉たちの中に「治野って他人のこと興味ないでしょ」というものがある。ぐさり。呪いの言葉。

そうなのかな、と思う。そうなのかもしれない、と思う。そうありたいのかもしれないな、と思う。実際のところは、知らない。

「私って他人に興味がない」かもしれないな、と思うのは冒頭であげたような会話の時。

「どこに行くのですか」なんて絶対聞けない。そもそも連続して休みを取るからって旅行に行くとは限らないし、私だったら「どこに行くの?」「何をするの?」と聞かれたら「うっさいボケ!!!」と思ってしまうかもしれない。本当は、相手用に答えを考えるのが面倒なだけなのだ。

私は、他人に切り込めない。知ろうと思わないし、知ってどうなるのかと思うし、知っていいのだろうかと思うのだ。

 

「どこに行くのですか」と聞けるようになったほうがいいのか、あるいは。