ベランダの実験室

思考の記録です。

「フィクション」

「フィクション」

ドラマの撮影とおぼしき集団に出会うことがたまにある。本当にたまに、だけれど。

最初、パトカーの姿が目に飛び込みその周囲を囲む人の群れを見えた。そこから私は何か事件があったのかと考えた。あらま、大変だわ。

しかし、遅れて頭が回転しだすと違和感を感じる。パトカーは本来あるべき高さより上に存在していて、つまりレッカー車のようなものの上に停まっているのだ。そこから考えられる次の仮説は「パトカーが事故を起こしたのか?」だった。

結局はドラマ撮影であることがわかるのだけど、自分の思考の過程をゆっくりと堪能できて面白かった。はじめての風景だったもので純粋に驚いてしまったのだ。

撮影に出くわすのは今回が初めてではないので新鮮な感情ではないけれど、なんというか「見てはいけないものを見てしまった」という後ろめたさと、恥ずかしさと、ちょっとしたワクワク感を感じる。

私は物語の世界が大好きだ。
アニメも小説も漫画も映画も音楽もイラストも、大好きだ。
物語の中の見事に築き上げられた世界が好きだ。どうしてそんな世界を考えられるのか。物語を作れない私は震える。だから作る人には最大の敬意を払わねばならない、というのが私の持論だがそれはさておき。
現実とは違う世界が好きで、憧れる。だからだろうか、ドラマの撮影はできれば見たくない。
ここ、かなり自分の中では面白い部分で、それならドラマの裏側や舞台の密着ドキュメンタリーなどそういうものは好きではないのか?そう聞かれると、答えは「大好き」になる。私、裏側、たくさん知りたい。
では、どうしてドラマの撮影に立ち会うのは嫌なのだろう。簡単だ。ドキュメンタリーや密着裏話でさえ、私が知らない誰かさん(大勢)の手で作られた「フィクション」だからだ。私が直接見たわけではない。でも、私が部外者としてドラマの撮影を見かけてしまったら、「ほんとう」になってしまう。物語は物語のままであって欲しい。現実が物語ほど面白くなくて、あーあ、私も魔法使えるようになりたいわ、瞬間移動したいのに、と夢をまだ見ているのに。物語は物語であることを知っているからね。期待はしないのです。

夜の撮影だったもので、どんな作品なのかパトカーの中のシーンを撮っていたけれどどなたが乗っていたのか、私が知っている役者さんだったのだろうか。何もわからない。それで良かったなと思う。

こんなこと言っておいて、私は5分くらいその場にいて首をながーくしてどんな撮影をしているのか見てたけど。
役者とか撮影会社とか映画会社とか、作る側でいるのも悪くないと思っているのに、たまたま撮影に出くわすのが嫌なんてね。

私は、フィクションが好きだ。現実は好きとか嫌いとか考える以前に向き合わないといけないものだから。せめてフィクションは愛させてほしい。