ベランダの実験室

思考の記録です。

指パッチンと習熟

長らく、私はパチリと指を鳴らすことができなかった。

私のイメージでは、マジシャンの方が指をかっこよく鳴らしているイメージがある。

指を鳴らすことができない私は、この短い十本の指がパキリと尖った音を鳴らすことができるのか、皆目見当がつかなかった。

 

指を鳴らしたいと思ったわけではない。決して。しかし、最近になって私は指をパチリと鳴らすことに成功した。指を鳴らせても世界は全く変わらなかった。劇的な変化など起こらない。グラスになみなみと注がれたワインは消失しないし、そもそも家にグラスワインなど無い。

 

誰も指パッチンの方法など教えてはくれない。私も聞かない。google先生で調べようとさえ思わず、私は時々思い出したように、テレビの中のマジシャンがやっている風に指を構え親指と中指を擦るだけ。指は湿り、まるで鳴る気配がない。

しかし、唐突にその日は訪れたのだ。

期待はしていなかったし、指パッチンの練習という自覚もない行為をやめることもできないまま、私は指を鳴らすことができるようになった。

 

ここに、私は人間の習熟の過程を見出す。

 

人より秀でた能力を持つことを、「(その領域において)その人は才能がある」と言う。その才は努力で磨かれた結果でもあるけれど、一方でその行為?がその人にとってごく当たり前だったが故に自然と経験が積み重なり、他者より優れることになった、というパターンもあるのではないか。「ストレングス・ファインダー」なんかはきっとその発想が下敷きにあると思うのだ。

 

そういう意味では、私には指パッチンの才能があった。相性が良かった、というべきかも。

 

何かを習得しようとしたとき、それが私にとって息をするように自然なことであればそれをものにできるし、世界のすべてが空気のような存在であれば、きっと私はアイアンマンになれる。