ベランダの実験室

思考の記録です。

この時を感じられるために

どうして「その時」考えられないのか。

私はいつもこの感覚にモヤモヤさせられる。

 

過ぎ去りし日々。あの頃は自分がやっていることの半分もわかっていない。実感は後から付いてくる。今、あの頃を振り返ってようやく実感が沸く。本当は「その時」にこの実感を得たいのに。

 

例えば。

私は長年ずっと同じスポーツをやっていた。私は練習が大嫌いで大嫌いで、しんどいからやめた。でも、虫のいい話で、スポーツと距離を置いた今になって当時のしんどさが懐かしく感じてしまう。当時はこんなこと絶対やりたくない。練習前は決まって吐き気がしたし、何故自分はこのスポーツを続けているのかわからなかった。

やめたから言えること。私はずっとそのスポーツが好きだったし、練習もきつかったけれど身体を動かしているのが好きだったし、例え人より上手くならなくても昨日の自分より少しでも上手くなる過程が楽しかった。

それを、今私が言語化できているように当時言葉にできていたなら、きっと私はもっと良い体験ができたはず。それが、ちょっとだけ悔しい。

 

今。私は生きている。どうにか、生きている。人より褒められたものではないし優秀ではないし夢もないし、正直どうなるかわからないしどうしたいかもわからない。けれど、生きている。

あの時の「しんどい」に囚われていたように、今、「今」を楽しむことができていないのなら、あと10年生きていたとして、きっと10年後私は後悔するだろう。

 

「その時」考えられるようにするための手段が、私にとっては「書く」ということなのだと思う。