ベランダの実験室

思考の記録です。

あゆのおじいさん

とある町の「松坂屋」の交差点で、私は「あゆのおじいさん」を見た。

 

私はその交差点で、赤信号が青になるのを待っていた。大型連休の半ばにぽっかりと生き残った平日。時刻は、朝の9:00くらい。ぐんぐんと気温が上昇する気配がする、天気の良い朝だった。

あゆのおじいさんは私の右斜め前で同じように信号を待っていた。

何故「あゆのおじいさん」なのかというと、このおじいさんが浜崎あゆみさんのパーカーを着ていたからだ。何故そのパーカーが浜崎あゆみさんのものだとわかるのか。それは、パーカーの背の部分に「ayumi hamasaki」とプリントされていたからだ。年もプリントされていたから多分ライブグッズのパーカーではないか。

私は、信号が青になるまで、じーっとそのパーカーを見つめることとなる。

 

何故そのおじいさんはあゆのパーカーを着ているのか。

そもそもそのパーカーが「あゆのもの」だと理解して着ているのだろうか。

おじいさんはそのパーカーをどこで手に入れたのだろうか。

ライブで買った?それとも誰かからもらった?古着屋で見つけたとか?

 

「あゆのパーカー」1つで、限りなく妄想が膨らむ。「モノ」とは物語を纏う存在だなとこういうとき強烈に感じる。

単なる雑踏の一部。街中でうごめく灰色の影のひとつでしかなかったおじいさんが、あゆのパーカーを着ていたことでたちまち色彩を取り戻す。面白いな、と思った。

 

信号が青に変わる。

おじいさんは黙々と横断歩道を渡る。私も渡る。

次第におじいさんの姿は灰色に戻り、私は今日見ようと思っている映画のことについて考え始めた。