ベランダの実験室

思考の記録です。

スクラップブックを携えて

そういえば、「自分が確かに変化してきて今ここにいる」という感覚がまるで無いな、と思った。

文章を書くのは嫌いでは無いが、日記は続かない。備忘録として何かを書いてもそれを定期的に見返すことがない。たとえ見返したとしてもそこに感想を抱かない。その当時のその感情はその時の私のもので、今どう感じるとかその時の感じてたことについて何か言いたいことはあるかとか、全くない。

その理由として、多分私が過去に対する諦めを抱いているから、だと思う。後悔しても過去は変えられない。過去の私の結果が今の私で、問題を解決するためには今なにかをしなければいけない、と思っているからだ。行ってしまうと過去なんてどうでもいい。

あの頃の、綺麗な瞬間を取り出したいと思う。みすぼらしく意地汚い感情を形にしたいと思う。でもそれだけだ。そういう意味では、私は「収集家」であり「分析家」ではないのかもしれない。心の何処かに設置した私だけの棚に、あらゆるものを収めたい。ぶっちゃけて言うと、中身より集めること形にすることが大事で、保存方法とか後で鑑賞することは二の次だ。


ということで、この文章も1つのコレクションにしたい。




疲れている。疲れていると自覚できないぐらいに疲れている、気がする。

疲れているのは働いているからだ。ぶっちゃけて言うと仕事は滞りなく進み、私個人がものすごい問題を抱えているわけでもない。凄まじい嫌悪を抱く人間は周囲にはいないし、逆にものすごく尊敬できる誰かがいるわけでもない。「将来」のことを考える。自分が何をしたいのか考える。自分が何を好きなのか考える。ふとした他人の言葉に気持ちが悪くなる(多分私の「気持ち悪くなる」反応の方が過剰なものなのだろう)。で、疲れる。どうにかしたいと思う。どうにかする力が自分にはある。でも、できない。それが疲れる。

働くことは、案外簡単だ。元々やりがいとか夢とか捨てて諦めて今の仕事をしていて、思いの外悪くないし、私の関心上ずーーーっと知らなかっただろう領域の一端に触れているのは実は面白い。できないことがたくさんあるので、自分のペースでできるようになりたい。


こうして言葉にすると、自分が何に疲れているのか。疲れる必要なんて無いのではないか?という気持ちになる。少しだけ疲れが和らぐ。


これまたぶっちゃけると「仕事に忙殺される日々」も「淡白な職場」も「自分の関心外の領域」も、私はただ収集したかったのだと思う。

特に好きなものもなく、誰かと楽しみを共有できるわけでもなく、本当に何も無い私がそれなりに人生を前向きに生きようとした時「とりあえず目の前のことをハサミでカットしてノリをつけてスクラップブックのページに貼り付ける」ぐらいしか方法が無かったのだ。他の人は人生をどう生きているのだろう。


文章も、たまにぽつぽつと撮る写真も、上手くなりたいなと思うイラストも、弾いてみたいなと思うピアノも。スクラップブックを作る際の「ハサミ」でしかないのかもしれない。


なるほど。少し言葉にできた気がする。私は、私だけの棚にスクラップブックを適切に収めたいのだ。