ベランダの実験室

思考の記録です。

照り焼きチキン味のパン

私の7か条、と呼べるものでは無いが、意識していることがある。

その1つに(いや、2つか)「寝ることと食べることはおざなりにしない」というものがある。

その信条を守って実際良いことがあったのか知らないけれど、生きる上での行動指針の1つにはなっているだろう。信条があることで、迷った時にはつぎの一歩を決めやすいものだし。


そして、今日、私は自分が意識してた軸から外れる行いをした。そう、照り焼きチキン味のパンを食べてしまったのだ。

毒じゃあるまいし「食べてしまった」なんて酷い言い方だ。その通りである。が、実感としては「食べてしまった」に近いのだから仕方ない。


私には苦手な味がある。好んでは食べないけれど、目の前に出されたら顔1つ変えずに淡々と食べられる味がある。

つまるところ、私は「照り焼き」というものがなんとなく苦手なのだ。マクドナルドのテリヤキバーガーは多分1度も食べたことがないと思う。甘たるいのが苦手なのだ。同じ理由でめんつゆも苦手だ。

それはさておき。苦手と自覚している照り焼きチキン味のパンをどうして食べたのかと言うと、ものすごくお腹が減ってたからだ。そして夕食にありつく為にはもう少し時間がかかることもわかっていた。加えて、帰宅間際を絶妙に狙ったかのように作業が降りかかり、へとへとだったのだ。

選択肢は3つ。1つめ、何も食べず帰る。2つめ、食べ物をコンビニで買う。3つめ、コンビニに並立してるパン屋さんに寄る(タイムサービス中)。コンビニはなるべく行きたく無い。お腹すいた。疲れた。ということで、パン屋のドアを開ける。

閉店間際のタイムサービス中ということもあり、置いてある品数は少ない。惣菜パンが食べたい。無い。あるのだけど、棚の目の前にはおばさんがトングをカチカチ鳴らしながら居座っていてよく見えない。後ろからは別のお客さん。なんとなくこの場からすぐに立ち去らないといけない気がしてソワソワしてしまう。えいや、ままよ、ということで、私のトングが掴んだのは照り焼きチキン味という経緯です。マクドナルドのレジに並べないのと同じ感じだ。後ろからお客さんが来てしまうと私は途端に慌ててしまうのだ。困る。


ということで、私は冷めた照り焼きチキンをベンチに座って頬張るのです。

…。うん。そう。照り焼きなるものはこういう味だったわ…。そして、私は自分が食べることを大切にしてたことに気づくのです。


それはつまりこういうことです。

とりあえず起きている時間はそれなりに活動的でありたい。せっかく生きてるのだし起きてるのだし動いているのだから。余すことなく自分のエネルギーを消費したい。そうではないと勿体無いではないか。

で、動く為にはエネルギーが必要だ。寝ないと力が出ない。食べないと力が出ない。だから私は両者をおざなりにはしたくないのです。いい加減にすると後でツケがまわってくるし、単純に生産性が落ちるのも嫌だ。

あとは、食べることも寝ることも私にとって楽しみの1つってことも大きいだろう。日々頑張ってるのだから、ちゃんと寝たいし好きなもの食べたい。妥協してしまったら、私はどこで何を楽しみにすればいいの?


照り焼きチキンを食べてしまった。他のを頼めば良かった。心なしかしょんぼりしながらこれを書いてます。でも、同時に思うのです。こういう偶然、不可抗力から新しい世界が拓けるということもあるのかなと。今回はあいにく照り焼きチキンの評価が変わるようなことにはならなかったけど、照り焼きチキンを手に取ったことは否定したくない。


そんなことを思ったのです。

ああ美味しいお米が食べたい。