ベランダの実験室

思考の記録です。

行為としての煙草

煙草はお好きであろうか。

私は好きじゃない。でも、行為としての煙草にはとても憧れの気持ちがある。

 

煙草は好きじゃない。煙草の匂いがやはり好きになれないのだ。副流煙が身体に悪い云々は実は私はどうでもいい。副流煙も身体に悪いのだろうが、それを言えば、私はコンビニのタマゴサンドの添加物っぽい味がするのが苦手だし、パソコンやスマートフォンなど電子機器類も少なからず人体に影響を与えてそうな予感がするし、身体に悪いことはこの世の中たくさんある。お酒もそうだ。だから、健康面で煙草の煙を特別に敵視はしない。単純に匂いが嫌いなだけだ。

 

煙草は好きではないが、煙草の一連の行為に憧れの気持ちがある。

煙草を口に加えて、ライターで火をつけてみたい。ライターは100円でもいいし高価なやつも使いたい。煙をフーっと吐き出してみたい。「ここ煙草OKですか?」「ごめん一服していい?」って相手に聞いてみたい。十中八九断られると思うけど。

「喫煙者」というステッカーが欲しい。欲しいけれど、それを得るためには「健康」と「お金」というやや高いツケを払わないといけないわけで、払うものとステッカーの価値を天秤にかけた結果、私は今後も喫煙者にはならないだろう。残念ながら。

 

もう1つ言っておくと、働き始めて思いのほか煙草を吸う人が多いことに気がつく。私の身内その他近しい人には喫煙者がいないこともあっての驚きだろうけれど、休憩と煙草を吸いに、が1セットになっている。「煙草を吸いに行くね」という口実の元、都合の悪い場所から離れられるのは羨ましい一方で、今は吸うスペースも限られているので大勢の同士と決められた空間で吸わないといけないのは少しつらいかもしれない。

これを言うと怒られそうだけれど、別に街中でタバコ吸っていてもいいと思うのだよ私は。歩き煙草とか火がついているものなんだぞ、煙が嫌いな人もいるんだぞ、という配慮さえあれば。

公園なんかで青空と芝の緑を見ながら煙草を吸うなんて、非喫煙者だけど、なかなか味わい深そうじゃないですか。私は、空の青と芝の緑を見ながら冷たい飲み物を(お酒ではない)か―――――っと喉に流し込むと幸せな気持ちになるから、そういうものだと思うのだけど。

 

さて、そういうわけで煙草に憧れを抱いている私が、最近気に食わないことがある。わかりますか。そう、電子タバコや加熱式タバコというやつです。あれ、美学に反します(私吸わないけれど)。

 

フォルムがまず嫌であります。メカニカルな感じが嫌です。灰もトントンって灰皿には落とさないのでしょうか。あれも込みで煙草だろうに。勝手なこと言うなよと自分に思いますが、美学と合理性は時々相反するものがあります。こだわりとは必ずしも合理的ではない。だから、健康に悪いとされる煙草という行為が美しいこともあります。そういう意味で、より合理的に、健康も追い求めつつ煙草も吸いたいよねという下心が(あるかはわかりませんが)見え隠れする電子タバコや加熱式タバコが、私は少し気に食わないのです。ま、どちらにせよ吸わないのですが。

 

私はお酒から受けるストレスの方が煙草より大きいので、喫煙者に対する世間の冷たさに同情はしないけれど、それ言うなら、飲み会で随分なことをする酒飲み達にも同じこと言ってよとも思ったりするわけです。

嗜好品無き世界はつまらないものでしょう。

品よく、嗜好品をたしなみたいものだなと思った次第。