ベランダの実験室

思考の記録です。

私の「月曜日」/amazarashi『月曜日』を聴いて

amazarashiの『月曜日』を遅ればせながら聴いた。

youtu.be

私は綺麗なものが好きだ。

綺麗なものが好きだから、amarzarashiも好きだと思う。amazarashiの音楽の好きなところは圧倒的なメッセージ性、「あの頃」の苦しさ、「今」のもどかしさがこれでもかと歌われているから。そして、ピアノの旋律が綺麗なところが好きだ。ピアノ云々については今日、この『月曜日』を聴いて初めて気がついた。私はこのピアノが好きなのだ、と。

 

音楽の専門的なことはよくわからない。

ピアノが綺麗。アコースティックギターの音色が綺麗。ドラムが好き。ベースの音が好き。以上が「この曲の音が好き」を構成している要素。他にどんな言葉で感想を言えばいいかわからない。

 

「月曜日」の話をしよう。

ちなみにこの曲が主題歌である漫画『月曜日の友達』はこれを書いている時点では未読だ。明日か明後日か、とりあえず近いうちに絶対買う。多分漫画を読んで『月曜日』に対する感想も変わると思うので、今、あえてこの文章を書いている。

 

最初は、私の「月曜日」の話をしようと思っていた。

八方ふさがり、何もかもが色褪せてつまらなく、ひたすら自分の事ばかり考えて悶々としていたあの頃のことを書いてみようと思った。

 

でも、お風呂に入ってほかほかして、再び文章に向き合った時、この曲を聴いた時、もはや私の「月曜日」の話はどうでも良くなってしまった。単純なものね。

だから違うことを書こうと思う。これからの話だ。

 

 

「月曜日」が嫌いだ、という感性が好きだ。

世界の見方が好きだ。

苦しくて、悲しくて、切なくて、みじめで、痛くて。

そういうことをそのまま言葉へと変換し発声する人が好きだ。その人の見る世界の風景をもっと知りたいから、もっともっと喋ってほしい。もっともっと。私も、できるだけ言葉にしていきたい。苦しいこと。悲しいこと。つらいこと。わからないこと。

 

「月曜日」が嫌いということは、ダメなことじゃない。その人の感性だ。その人らしさだ。その人がその人であることだ。絶対、否定しないでほしい。

 

「月曜日」が「月曜日」であるままに、生きたいものです。