ベランダの実験室

思考の記録です。

「熱中」に対する嫌悪感を掘り下げてみる

「熱中」に対する嫌悪感を掘り下げてみる

私には好きなものがある。

その手のマニアにはなれないけれど、好きでない人から見ると割と熱心に見えると思う。例えば、飽きもせずライブにも行かないくせにK-POPを聴いている。そこそこに文房具が好きで、特にノートになると煩いかもしれない。アニメも好きだしドラマも好きなものはトコトン好きだ。

でも。

同時に、何かに熱中して、メロメロで、どっぷりとその世界に浸っている人に嫌悪感を抱いている自分がいる。誰か特定の人を嫌悪しているというよりは、その「視野の狭さ」「自分がどう他人から見えているか考えてなさそう」そんなところに苛立ちを感じるのだ。どうして。どうして。こんな振る舞いができるのだ、と。

 

これらは私の思いこみでしかない。幻想だ。私が間違っている。

 

「熱中」に対する嫌悪感の裏側には、多分「嫉妬」がある。

自分が何かに「熱中」できていないから羨ましい。実際のところ「熱中できていない自分」を装っているだけで、私だって視野が狭くきっと何も見えていないのだろう。こういう文章を書いている時点で、私は「見えていない」のではないか。他人がこの文章を読んだ時に何を考えるのか、私はきちんと考えられていると言えるだろうか?

「自分は思慮深い」自慢ではなく自然にいつからか思っていた。でも「自分は思慮深い」と思う人間こそ思慮深くないのではないか。そうやって終わらない思考のループに私は陥る。

 

「熱中」できる人が羨ましい。そうやって、他人のことを意に介さず堂々としていたいのだ。私は、何も気がつきたくない。誰の事も顧みず生きてみたい。

 

このあたりになると、自家中毒の世界だ。何が正しいのか、何も正しくないのか、自分が間違っているのか、それならどう生きればいいのか。答えのない問い。誰かと毒を共有できないのであれば毒を生成するべきではないと思う。自分で解毒できないとなると、あとは弱るだけだ。

 

ということで、オタク活動に勤しむ身内を遠くで眺めながらこの文章を書いている。羨ましい。そして、その姿を醜いと思う自分が、嫌いだ。あんた、

なんでそんなキャーキャー言っているんだよ。別にあんたの好きなものになんか興味ないよ。○○って誰だよ。どうしてそこまで夢中になれるんだよ。何でそれがこの世の中で一番だ、みたいに思えるんだよ。それ以外の存在なんて無に等しいぐらいの気持ちで信じられるんだよ。ぼこぼこと毒が噴き出てくる。

 

ちなみに私は、誰かの前でK-POPの話をすることができない。自分の好きなグループの事を100%語ることができないのだ。どうしてもぼやかして言ってしまう。誰にも反対されたことがないし怪訝な顔をされたこともないのに、私は自分の好きなことの話ができない。

 

こんなことを考えるのはやめよう。

美味しいものを食べて、もう寝てしまおう。