ベランダの実験室

思考の記録です。

私は、鶏。

私は、鶏。

何故なら、物事を3歩で忘れるからだ。

 

これ、大袈裟な表現ではなく、真面目に忘れる。

ただ「絶対これ忘れちゃいけない」というものは忘れないので、周囲から「あなた忘れっぽいよね」とは言われない。私が忘れるのは、ちょっとした思いつき、買いたいもの、あとでやりたいこと、そういう軽度なものだ。

 

この文章を書くにあたって、今日どんなことを考えていたのかなぁと振りかえってみる。オリンピックを見ていたのだけれど「アイスダンスとペアって何が違うかなー後で調べよう」と思い「エキシビジョンのこの演技に使われている曲、ビヨンセなんだ、あとで聴こう」と思い「トムヤムクンヌードル(日清)食べたいなー」と思い「f(x)の4wallsのMVを久々に見たらやっぱり謎めいていて幻想的でいいなぁ...いつもビクトリア姉さんがカップが落ちるのを阻止するところに愛を感じて泣けてしまうんだよなぁ」と思い「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンの7話はアニメの殿堂に残すべき。泣いた。後でこの感想まとめとかないと」「痩せたい...ダイエット...」とか、その他たくさんの思いつきが浮かんでは消え、浮かんでは消え。

思いついたことは、例えば紅茶を飲もうと台所に向かう途中で忘れている。まずお湯を沸かしてーティーバックは揺らすと苦みやえぐみが出るらしいからそのまま放置。砂糖も入れないと、なんて考えに上書きされる。

 

後で振りかえられるということは、閃いたことそのものは忘れていなくて「閃いたこと」を忘れているのだと思う。忘れやすいというよりは、思考の塗り替えのサイクルが激しいのではないか。

これらは本当にどうでもいい思いつき。それは、私の人生自体は面白くするだろうけれど、個人的な範囲の利用に限られる。誰かが理解できるとは思わないし、誰かを巻き込む思いつきでもない。内省的というか内向的というか。これを他の人に還元しようにも、本当に個人的な楽しみでしかなく有用なものが何も無いのが悲しいところ。

 

こうして文章に書いていると、上書き現象は別におかしなことではない気がする。おかしいというか、もしかしたら他の人はトムヤムクンビヨンセと紅茶とミュージックビデオが一気に脳内で弾けないだけかもしれない。私は色々と目移りしてしまうのだ。

 

「私、鶏。」現象を防ぐために、手帳を常に携帯し思いつきは片っ端から書き込むことを思いつき、挑戦し、3歩歩いたら忘れ、手帳に記された思いつきが時間の経過とともに腐りもはや何の意味もない状態になったことで後悔し、もう一度手帳に書き込み、以下同文。悲しい。

 

とりあえず、この文章を書くことは忘れていないので(代わりに他の何かは忘れてしまっている)良しとしようか。