ベランダの実験室

思考の記録です。

表情

人が1人になる瞬間、あるいは人が1人じゃないと安堵した時の一瞬が、私は気になる。

 

沢山の人が日々利用する駅という場所で自分も誰かと待ち合わせしているとき、私は大概本を読んでたりスマートフォンの画面を見つめている。他の人のことは見ない。「見ない」というか「見ないように」している。

それでもふと顔をあげて、少し時間は早いけれど待ち合わせの相手が来ているかもしれないと辺りを見渡すと、同じように誰かを待っている人の表情がふと目に入る。

大概の人は無表情か、どことなく不安げだ。私もきっと同じような顔をしている。待ち合わせの相手はもう来ているのか、時間通りに来るのか。定かではない少しだけふらふらとした未来に、私は少しばかりの不安を抱く。

さて、私より一足早く、待ち人と会うことができた人がいるとする。

私はその人の顔を見て驚く。一瞬前の無表情から一転、その人の顔には感情が立ち現れる。顔の筋肉が動き、喜びなのか安堵なのか、はたまた怒りなのか苛立ちなのか、その人の顔には何かしらの表情が立ち現れる。その変貌があまりに一瞬の出来事でしかも前後でまるで違ったものだから、私は驚く。そして面白いと思うのだ。

 

待ち合わせの逆も然りで、これまたよくあるのが駅での別れ。先ほどまで誰かといた時に浮かべてた表情から一転、シーンと無表情になる人たちを見るのもなかなか不思議な光景だ。その人たちを見るたびに、人間って怖いなぁと思う。悪意も何もなく、ただ当然のように無表情になるのだ。表情は自分の為ではなく誰かの為にあるものだと感じる。

 

そこまで考えていたところで、ふと「お面」を被りたくなった。あるいは舞踏会に付ける「仮面」でもいい。そうだそうだ、私はお狐さんのお面なんか被ってみたい。ひょっとこでもいいかな。街を歩く人が、みーんな思い思いの仮面をつけている光景を想像してみると、不気味ではあるけれどなんとなく愉快な気持ちになった。

ところで、狐の仮面ってどこで売っているのだろう。