ベランダの実験室

思考の記録です。

ピアス

ピアスをあけることにした。

 

青天の霹靂とはこのことだ。せいぜいイヤリングに止め、耳に穴をあけるまでは行かないと思っていた。私は痛いのが好きではないのだ。耳に穴があいている、という状況も嫌なのだ。でも、ピアスをあけることにした。

 

きっかけがアイドル、というのも想像だにしていなかった。まさか自分がそこまでアイドルに入れ込む(表現にやや険があるのは無視してください)とは思わなかったし、アイドルを見て感化されるなんてこともないと思っていた。違う。アイドルは素晴らしいのだ。というのはさておき。とにかくピアスをあけようと思ったきっかけはピアスである。

可愛いなピアスと思ったのが理由だ。イヤリングよりデザインは豊富だし可愛いものが多い。地味めな服を着てしまうので私服との兼ね合いが上手くいくのかは不安だが、追々勉強していこう。

 

ピアスをあけることにしたものの、実際にあけるためにアクションを起こす際はものすごく抵抗があったのでこの文章を書いている。やっぱり滅多にないことは面白い。自分がどんなことを考えるのか予想がつかないし、考えたことは新鮮だ。日々新しいことにチャレンジしないとね。

 

ピアス=?

まず、ピアスをあけることに対する抵抗感がハンパなかった。ピアス=不良とかヤンキーとかそういうイメージはもはやないけれど、ピアスをあけて周りから何か言われないだろうかとか、何か言われた時にどう返せばいいのだろうかとか、一応働いてはいるので大丈夫だっけ穴あけて、とか。馬鹿みたい。

こういう「タブー」がどのように生まれるのか興味がある。どのように生まれるか以上に、意識されていないタブーはどれだけあるのか興味がある。

私はタブー=滅ぶべし!!!とは思っていないけれど、タブーと衝突し時に人が傷つくのは嫌だったりする。目に見えないタブーに縛られて意味わからず苦しむのも嫌である。ということで、今回のピアスなんかも貴重な体験である。

ピアスの場合は、明らかに小学生・中学生の頃の刷り込みのせいだろう。ドラマで映画で、実体験として、ピアスは学校という共同体への反発、鬱鬱とした感情の発露などなど、何かを象徴するものだ。そして学校や親、世間は一般的に小学生や中学生、もしかしたら高校も子どもたちがピアスすることを禁止する。禁止されることは悪いことなのだと意識に刷り込まれる。それが、ここまで作用しているとはね。いや、自分がきっと色々なものに縛られているのだろう。本当に私は色々なものに縛られている。

 

体に手を加えることへの抵抗

体に穴をあけること、もっと言うと体に手を加えることの抵抗はどうして拭えないのだろう。これも文化だ。私の価値観だ。

体に手を加えることに抵抗があるのなら、例えば歯はどうだろう。私は幼少期散々抜歯される酷い目に遭ったのだが、あれは人間が身体に介入することの事例にはならないのだろうか。歯ならびを良くすることと、二重まぶたを作ることと、脂肪吸引することと、本質的に何が違うのだろう。耳たぶに穴をあけることと、舌に穴をあけることと、鼻に穴をあけることと、何が違うのだろう。

何が駄目なのか、何に嫌悪感を抱くのかというのは、所詮幻のようなものだ。幻というか、実体のないものというか、確かに存在するものだけれど実は絶対的なものではないのだ。すべて人間が作り出した世界の見方の1つなのだ。

 

 

 

うーむ。ピアス1つでここまでごちゃごちゃ考える人はあまりいないのかもしれない。今や市販でピアッサーも売っていておしゃれ感覚で手軽に穴をあけられるし。が、私にとっては物珍しい経験なのであることに違いはないので、楽しみだ。今のうちに付けたいピアスを物色しておこう。

 

他にもタトゥーを入れるとかそういう「アクション」を起こす人はどういうことがきっかけなのか、知りたいな。今のところタトゥーは予定にないけれど。