ベランダの実験室

思考の記録です。

「変わった人」である為には。

「変わった人」である為には、才能が必要なのか。ということについて考えている。才能って何だろう。違うな。ある領域においては非常に有能、と言ってもいいかもしれない。変わった人であるためには、ある程度の「力」が必要なのではないか。

そんなことをドラマを観ながら考えていた。

 

私は登場人物たちが風変わりなドラマがとても好きである。その人が持って生まれ大事に育んできた才能を存分に活かす、という物語が大好きなのだ。K-POPが好きなこととドラマが好きなことは、一見全く違うロジックが働いているように思えるが、私の中ではK-POPもドラマも好きな理由は同じである。それは、

 

「その人がその人らしく活き活きとしている」かつ「誰かが作った世界」であること。

 

多分私は現実が好きではないのだと思う。かといってフィクションが現実になることを期待しているわけでもない。現実が退屈な分、非現実の楽しさが際立つのであり、2つの温度差が大きいほど刺激が増す。非常に効果的だ。

 

変な人は大概何かしら得意なことがある。力がある。その力でもって周りの人間を蹴散らしていく。見ていて爽快だ。でも。思うに、人それぞれ何かしら得意なこと、他よりちょっとだけ秀でているものがあるのではないだろうか。なのに、それが見えてこない。あるいは私が盲目なだけなのだろうか。

また変わった人が存在するということは、平凡な人がいるということで、じゃあ変わってるって何なのだ、平凡って何なのだ。なんて考えたりして。

 

変わった人に憧れている。

それはつまり、自分の生き方をしたいということだ。さらに言うと、変な人じゃなくていいから自分に自信を持ちたいということだ。そうだ。だって変な人はみんな自分の存在を疑っていないもの。

 

変わった人になりたいけれど、実のところ私は自分に自信を持ちたいのだ。

嵐の松潤がひたすら変人な弁護士を演じているドラマを見ながら、私はそんなことを考えてた。

自信って、どうやって持つことができるのだろう。