ベランダの実験室

思考の記録です。

荒野

社会人になり、働くようになった。

特に何もない日々。これでいいのか、この先どうなるのか。深く考え込んでしまうこともある。が、それでも私は今、荒野に立っている。

 

私は昔からなりたいものがなかった。叶えたい夢もなかった。未来のことをあまり考えてこなかった。

学校でのお決まり事の1つに、卒業アルバムがあり、時に文集があり、己の夢を語る場面がある。そんなとき、私はいつも困った。覚悟をもって書くことができる夢など何もなく、かといって適当に気になった職業を挙げることもできず、意味が分からないことを書いていた気がする。曖昧に無い夢をごまかした。

今も同じで、何1つ覚悟を以てできる気がしない。「私は覚悟なんてないんです」そうやって失敗することに対して予防線を張っているだけじゃないのか、と思う。多分そうなのだろうな。私は結局何1つ思いきって出来た例がないのだ。

 

ここまでの道。確かに自分で決めてきた。幸いにも自分で決めることができた。でも。自主性なんて本当はないんだ。やりたいことなんてない。学びたいこともあるように見えて、実はない。知的好奇心を持っていた方がそれなりに人生が面白そうだから、そのように振る舞っているだけで。できることなら誰にも会わずに引きこもっていたい。できれば、静かに生きたい。ふらふらとしていたい。私の主張なんて、今挙げたものぐらいなのだ。

 

孤独だ。時々寂しくてたまらなくなる。泣きたくなってしまうときもある。一人じゃないと思っているのに、やっぱり私は一人なのだと悲しくなってしまう。それは何故なのだろうと思う。

 

働くようになって、少しすっきりした。まだきちんと自立できてるわけではないけれど、「こうあるべき」というしがらみからようやく解放されたような気がするからだ。あまり学校は好きじゃなかったみたいだ。誰かが強く私に「あるべき像」を押し付けてきたわけではないけれど、他者と接するたびに自分で自分を演じそれにひどく消耗してしまうみたい。

本当は、好きに学べるときに、自由でありたかった。自由でなかったのは自分のせいだとわかっているけれど。残念だ。

 

何が言いたいのかわからなくなってきた。

そう。今私は見晴らしのいい荒野に立っている。多分、昔よりは自由だ。前よりは息をするのが楽になったのだ。好きにやっていいと思う。

 

と。こんな感じで真面目にうだうだ考えてみたところで、最近思い出すようにしているのは映画「カンフー・ヨガ」なのだよなぁ…あれは反則だ。もっと踊っていい。楽でいい。ゆるっとしていい。はずだ。