ベランダの実験室

思考の記録です。

20171113 穏やかに

久々に、心穏やかな一日を過ごせたような気がする。

色々なことを考える。例えば、このまま私はひとりなのだろうか、ということを考える。深い深い闇。別にひとりじゃないだろうに、私はいつもひとりを恐れる。それに、人間というのは結局はひとりだろうに。

 

いつかは知らないが、「テンション高く生きるの疲れたなぁ」と思ったことがあった気がする。

気分の浮き沈みが激しく、楽しくなろうと思えればどこまでも楽しい人間で、その逆も然り。感情の振れ幅が大きいと結構しんどいのである。疲れる。が、今も気分の浮き沈みは激しい。

 

あとは、人間を理解するの疲れたなぁと思った。疲れるほど他人に関心を抱いたことなどないのに、だからこそ、だろうか。街中を歩くと、色々な人がいる。ちょっと気を抜くと目の前の人はどういう人だろうかとか、どんな人生を歩んできたのだろうかとか、実はそういうことを考えてしまう。これは「関心」じゃないのよね。うん?関心なのかな。でも「理解」じゃない。どちらかというと「情報収集」。そう、自分が生きる上での情報収集の一環。私は他人そのものに関心があるわけではない。

 

私は、本気じゃないことを言う癖がある。その瞬間は本気だったけれど、3秒後には嘘になる言葉をよく吐いてしまう。嘘じゃないけれど、結果的に嘘になる。

そのような断りをいれて、ある告白をしよう。

私が実は憧れている生活は、自然のなかの小屋で一人質素に暮らすことだったりする。本と、筆記用具と、斧と(薪割り用)は最低限欲しいな。あとは、文字を打ち込むことができれば機能はどうでもいいコンピュータ。体を適度に動かしながら、何かを観察しながら、あるいは、作りながら、細々と生きてみたかったりする。が、そこまで思いきれないから悲しいものだ。ほら、嘘になってしまった。

 

ただ、小屋暮らしはできないかもしれないが、そういう生き方をイメージしながら今を生きることはできる。穏やかに、生きたいわぁ…。

 

他の人はこんな気疲れしているのかしら、と思ってしまうくらい、人と人との間で気疲れをする。他の人はもっともっと疲れているのだろうか?他の人はどうやって生きているのだろう。不思議だ。

 

久々に、こんなことを考えられて、今日はやっぱりいい日だった。