ベランダの実験室

思考の記録です。

20171009 こんなに美しいものがあるのだから、世界はまだ大丈夫

と思って生きている。

具体的に言うと、私は小説や映画や音楽やアニメや景色が好きな人間で、実際に生きている人間よりそちらの方がよっぽど綺麗だな、おかしいな、興味深いなと思っているのだけれど、こんなに面白くて楽しくて考えさせてくれるものがこの世界にあるのだから、まあ、まだまだ世界は大丈夫だろう、私は死ねないな、と思って生きている。

それがあるから、私は大丈夫。

 

私は彼女ほどの闇も、世界に失望することもなく、どちらかというとわがままでこんなことを言っているけれど、彼女がこう言ってもいいんだ、ってことを言ってくれたのでそれを引用しよう。

 

私は自殺を考えたことがあります。それも何回もです。私は全部を投げ出したくなりました。死んでも、惜しいことは何もないって考えた後で、だけど、来月チヨダ先生の新しい本が読めるかもしれないんだなぁと思うと、簡単に自殺の決心が壊れました。

辻村深月スロウハイツの神様』より)

 

そう、そんなことが生きる理由になる。生きる理由にしていいんだ、と思ってからは、私は本気で時々こんなことを言う。「まだこんなに美しいものがあるんだから、生きていける。」って。

 

それより、現実の自分が生きる世界を愛せるようになった方がいいのかもしれない。嫌いなんだ。怖いんだ。そんなこと言ってないで、どうにか世界を好きになれるよう自分を変えてみなよ。でも、死んだら元も子もないし、本当に悲しくなる夜もあったから私は自分の好きなものやことについて考えることで悲しい夜を見送ったのだ。

 

難しいね。本当は直接喋って、誰かとこういう話が共有できたらいいのだけど。どうにも下手でそれができない。

 

現実をどうにか生きるために、私は空想に浸ることを覚えた。そして今度はその空想の源となる現実という存在に興味を持つようになった。というか、空想が生まれるためには現実が必要だから現実にも意味はあるのか、という本末転倒のような考え方になっている。そういうアプローチの仕方もアリなのかしら。

 

世界には綺麗なものがあるってことはわかるから、どうにか生きている。私は。

 

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