amazarashiのキーホルダーを持ったあの人は、いい人に違いない
電車に乗っていて、人が色々な方向からやってきてはすれ違う構内を抜け、人が行く先まっしぐらに進む様はまるで弾丸のようね、と思いながら少し消耗し、別路線へ乗換を試みる。
ふと前を歩く人に気がつく。小柄なその姿から女性であると推測し、彼女が肩から下げるキーホルダーに目をとめた見覚えのある黒字の三角形が描かれている銀のプレート。amazarashiのグッズだ。
前を歩くこの女性はきっといい人だろうな、と思った。
いやいやそんなのわからんでしょう?と思うのだけど、amazarashiを好きな人に限って悪い人はいない、と私は何故か思ってしまうのだ。
まだそれほどamazarashiの音楽を聴いているわけではない。ライブに行ったことはあるけれど、まだまだあのグループについて知っていることは少ない。ただ、曲をいくつか聴いていて思うのは、こんなぐちゃぐちゃとした感情をきちんと認めて曲にして大声で歌っている人がいるという歓びと、しかし、他に誰とこの感情を共有できるのだろうかという失望に似た感情である。私には、まだamazarashiと出会ったときの興奮と歓びを共有できる身近な他者がいない。
amazarashiが好きな人は、きっと生きることに一生懸命なのだろう。愚直に考え続け、答えの出ない問いを幾度となく自分に突きつけたであろう。もしかしたら生きることが嫌になったことがあったかもしれない。じゃないと、あの音楽は聴かないと思う。なんとなく。もちろんどんな人でもamazarashiを好きでいい。そう、これは私の勝手な想像なのだから。想像というか、願望かな。
amazarashiを好きな人は、生きることが一生懸命な人なのだ、と思いたい。
世の中に悪い人はいないと思う。いるのは自分と気が合う人か、合わない人かだ。物事を見るまなざしの深さがおんなじ人と一緒にいると気が楽だ。もしくは、見る深度が異なっていてもそれを尊重し合えれば、良い関係と言えるかもしれない。相手の考えに興味を持ち、尊ぶことができれば。気が合わない人とはそれができない。
amazarashiを好きな人は、いい人に違いない。
正確に言えば、amazarashiを好きな人は、私にとっていい人に違いない。
もっと言うと、amazarashiを好きな人と、お友達になってみたい。
なるほど。そうなのか。そういうことだったのか。
私の好きな曲を貼っておく。
やっぱりこの曲が好きなんだな。
あとは『ライフイズビューティフル』も好き。
日本語の曲を浴びるように聴きたい、そんな夜。