ベランダの実験室

思考の記録です。

20170930 私たちはまだ友だちでいられるか

昔の知り合いに会うたびに、ただでさえ少ない人脈がばっさばっさ切れていくような感覚をおぼえる。別に喧嘩したとか気まずくなったとかではない。「切れた」ではなくどちらかというと「(自分が)切った」と言った方がいいと思う。私のせい。私が、悪い。いつもそう思っている。

 

かつて、私には一緒にいて楽しい人たちがいた。それぞれ性別も、趣味も、得意なものも、性格もバラバラで、でもどうにか笑って過ごしていた。笑って過ごせたのはみんなそれなりに大人だったからで、多分私が一番幼かったと思う。かくいう私も、集団の人間の絆を引きちぎるような野蛮な行為は行わないわけで、私たちは笑いあって過ごせていた。

と私は信じている。

 

普通に出会っていればまず友だちにならない人間たちが、ある期間は友だちだったと思う。でも今は、ちょっとわからない。友だちじゃないのかもしれない。

 

人の集まりで、もめ事の発端になる定番のパターンは、恋愛事ではないか。そんなに恋愛ってすごいパワーなのだろうか。私は他人にあまり興味を抱かないからか、いまいちピンとこない。が、結局私たちに起こっていることも「定番」なのだと思う。

 

久々に会った友だち」、友だちAといつの間にか付き合っていた。記憶によれば、彼女は友だちBと付き合っていたはずなのだけど。そして当時揉めに揉めまくっていたはずなのだけど。いつの間にか友だちBではなく友だちAと付き合っていた。おめでとう、幸せになれよ。

でも「2人が結婚するときは結婚式に呼んでね」とは言えなかった。なぜなら結婚式に行こうとは思わないからだ。だって、面倒だもの。それに、2人の関係がこのまま続くかもわからないし。こういうとき、私は立ちどまって考えてしまう。2人が続かない可能性の方を取り上げてしまう。これは一種の習性で、私が単にネガティブなだけ。結婚式に行かないなんて、「友だち」じゃないのかな。

 

さて、Bは除かれた(他にも参加していない友だちがいたので、正確に言うとBだけが除かれたわけではないのだけど)久々の再会の場で、私たちはBを話題にすることをどことなく避けていた気がする。少なくとも私は避けていた。Bのことは嫌いじゃないのに。みんなが不自然なほど取り上げないのだもの。つい正直に「Bはこの場において禁句なの?」って聞いてしまった。

 

ああ、私たちは少なくとも以前のような「友だち」ではいられないのだろうなぁ...と思った。悲しいことに。

不安定に均衡がとれていた私たちの間のパワーバランスは、周囲の目と、仲が悪いよりは仲が良い方が良いという損得勘定が働いて保たれていたものかもしれない。タイプが違うもの同士だしね。均衡を保ってくれる外的圧力がなくなったら、そりゃあ、他人になるわよね。

 

先日、Bから友だちLINEグループにメッセージがきた。

私たちの代の同窓会のお知らせだった。Bのメッセージに反応したのは、今のところ私だけ。私だって、こんなめんどくさい感情を言葉にすることなどできなくて、熊が「good!」しているスタンプ1つだけですよ。本当に、スタンプ機能って便利。コミュ障にとってスタンプは本当に神機能だと思う。だから、みんなせめてスタンプだけでも押せばいいのに。メッセージ上に表示される熊さんを早くどっかに追いやって、他の可愛いスタンプで埋めてほしい。

 

私は、まだ「友だち」だと思っているよ。だけど、私以外の人は私と友だちでいてくれるのだろうか。ふと考える。この問いは非常に恐ろしい問いである。答えは私の側にはない。答えが私の側にない問題は、考えないのが身のため、ということを四半世紀近く生きてきて知っている。答えがない問題は、考えるに値する問題と考えたら最悪病む問題と、色々あるから注意した方がいい。同じように取り扱い注意な問題の一例としては「自分ってなんだろう」とかかな。あれも怖い問題である。

 

とにかく、そんな答えのない問いに巻き込まれそうになって、でも答えはシンプルだということにすぐ気づく。

私はまだみんなと「友だち」でいたいと思っているよ。それだけなのだ。

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