ベランダの実験室

思考の記録です。

20170823 寝る・食べる・動く 世界をたくさん持つ

気に入らないことがあった。

自分はとてもむしゃくしゃしていると思った。

何もかも真っ黒だし、もういっそことみんないなくなっちゃえ、と思った。落ち着いてみるとそれは非常に幼稚な感情だとわかるけれど、無論そんなことは考えられない。

自分が衝動的であると感じた。身体の中がかっかかっかと燃えて、熱い。じりじりするし、何なら痛い。

そんな状態がもしかしたら「私は怒っている」という言葉とイコールなのだろうかと思った。

 

この文章を書いている段階で、その熱さは弱まっていることがわかる。明日になればきっと冷めきっているだろう。

 

今から10分前くらいに、私は一冊の本とボールペンを手にして布団に寝ころんでいた。その本は最近本屋で衝動的に買った本で、私には専門外の、端的に言うと何を言っているのかわからない本だ。難しい。だけど理解したいなと思って買った。何度も読んで別の本を漁ってもいいから理解しようと思った本だった。

この時点で私の中は内なる衝動でメラメラ燃えている。とても熱い。本を開く。熱い。読む。内容がわからない。一体この文章は何を指しているのか理解できない。集中して読まないと文意が読み取れない。読む。わからない。

 

数ページ、その本と格闘していたら、いつの間にか私の中の熱は引いていった。

あら。いいじゃないか。そう思って、私はこの文章を書いている。

 

自分には衝動的な感情に飲み込まれることがある。大概は周りに当たり散らして、ご飯を食べて、寝て、どうにかなっている。寝る・食べる・動く。これを欠かさないでおくと、とりあえず大丈夫だと私は信じている。逆に言うとどれか崩れると私も崩れる。具体的に言うと、イライラする、落ち込む、身体が重くなる、余裕がなくなる、意地がもっと悪くなる、心が荒む、世界なんて滅べばいいとか思うようになる、etc。とりあえず、望ましくない状態へまっしぐらである。

本を読むのも良いことがわかった。世界を自分のなかで複数個持つのがいい。本は世界への扉なんだと思う。世界を複数個持つということは、自分の見る世界だけではないということを知ることだ。自分が正しくないということを知ることでもあり、相手が正しくないと知ることでもある。そうすると、すうっと熱が冷める。怒る必要がないことに気づく。今日のは、そういうことだったのではないだろうか。

 

ということで、今日はさっさと寝ることにしよう。

衝動性というのは、恐ろしい。こんなものに支配されたら身がもたないぞ、と思った。

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