ベランダの実験室

思考の記録です。

20170819 私がその舞台に立ったとして、

私のスマホにインストールされているLINEアプリは、滅多なことで通知を寄こしてこない。月に1,2回程度なのではないかな、誰かが私に連絡を寄こしてくるのは。その「滅多にない」出来事が、最近あった。

メッセージの送り主は、高校の時のクラスメイト。そして正確に言えば私個人に対する連絡ではなくて、クラスの全員が入っているLINEグループにメッセージが投稿されたもので、私にも連絡が来たというわけ。

 

事務連絡だった。

母校のイベントとして、OBOGが高校卒業を経て自分が今何をしているのか、そんなことを話す企画が立てられているようで、そこにパネリストとして登壇してくれる人はいませんか?という内容だった。

そんなイベントもあったなぁ。私ああいうの何気に好きでわくわくしながら話を聴いていたのだけど。実際、自分が母校の体育館のステージに登壇して身の上話をするなんて、現実味がないしわくわくもしないものだ。

 

今、その事務連絡のメッセージは私のLINEには残っていない。

私がメッセージを見て3秒くらいで消去してしまったからだ。

そのメッセージを見たとき動悸がした。心なしか気持ちが悪い。脂汗みたいなものが出てきた。つまり、その文章は私にとってあまり気持ちが良いものではない、ということだった。

 

高校時代に、特別何かひどいことがあったわけではない。むしろその逆かもしれない。特別なことなど何もなかった。あの3年間、私は自分がどうやって日々を過ごしてきたのか、よく思い出せない。私はあの日々をどうやって生きていたのだろう。多分何にも考えていなかったのだろうな。ふわふわしたまま過ぎていった3年間。

 

私が母校の体育館の舞台の上で後輩に語り掛ける状況など絶対生まれないけれど、この場を借りてあの頃の自分に語り掛ける言葉があるとすれば。

 

「好きなことを、思いっきりやっていいんだよ」

そして

「できないことは諦めて、自分ができることでどうにか対処できるよう考えなさい」

 

この2つを言いたい。

 

誰の事も気にせず図書館に籠って本を読んでいいし、体育祭だって気乗りしなければさぼっても良かったかもしれない。文化祭はもっと好きじゃなかったから、登校の義務があるんだったらそれこそ好きな場所でずーっと好きなことしていれば良かったし、なにもそんなに元気である必要なんてなかったんだ。自分であろうと頑張る必要なんてなかったし、誰の事も気にしなくて良かった。他人に対して最低限の誠意をもって接していれば良かった。なんであんなに頑張っていたのだろう。装っていたのだろう。誰かのことを気にしていたのだろう。あたしって馬鹿だな、って今なら思うけれど、当時必死だったことは知っている。

 

誰もはっきりとは言ってくれなかったけれど、人間は楽に生きていいのだと思う。楽に生きることができるよう、工夫していけばいいのだ。

 

 

メッセージの件とは別で、もう少ししたら高校時代の知人と会う。その時私は何を考えるのだろう。やっぱり頑張るのだろうか。知人の頭の中にあるであろう、あの頃の私の人物像と今の私が大きくズレてしまわないように。もう頑張りたくないのだけどなぁ...。自分がどうするか、少し楽しみな気持ちだ。もちろん、知人とどんな話ができるのか、それも楽しみ。

 

そうそう。もう1つあの頃の自分に言いたいことがあった。

 

「生きていれば、どこかにたどり着くものだから、」って。

だから、とりあえず生きなさいよ、って。

 

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