ベランダの実験室

思考の記録です。

物理的に離れる

「治野さん、人を殺すような目で見てたよ」

 おおうっと。本性が出てしまった...。

 

 私、人を殺すような目で見ていたそうです。まあ実際その時のことを思い出すと、間違ってはいないですけれど。自分では繕っているつもりですがなかなか隠せてはいなかったようです。困ったものだなぁ…。

 

 私には嫌いな人がたくさんいます。見ていて不快に思えてくる人もたくさんいます。その傾向は年を経るにつれて増すばかり。

 博愛主義者で優等生ぶっていたときよりも自分に正直になったということなのか、あるいは私がどんどん偏屈に心が狭い人間になっていったというのか。多分、どちらも正しいと思います。

 ただ、出会う人全員を「殺すような目」で見ても仕方がないし印象をただ悪くするだけなので、普段私は割と心を殺して生きています。殺して、というか、感覚を麻痺させています。現に人の行動や言動を見たり聞いたりしてもあまりムカッとしません。割と平和に生きていけています。行動や言動を言葉にしたり考えたりしないようにしているのです。心の浅いところで留めておくと、大した傷にならなくて済みます。

 

 どうやらその時の飲み会では麻痺が効かなくなっていたみたいです。というか、相手も酔っているし…。お酒は飲んでいませんでしたが、私も少々箍が外れてしまっていたようです。私と相手のやりとりを聞いていた周りの人は、どうやら面白かったみたいです。

 

 どうすれば気にしないで済むのか。考えたらもっともっと気になってしまうとは知りながら、それでも気になってしまうのは色んなこと。もっと心が死ねばいいのに。

 「気になる」の大氾濫で溺れないように、最近私は物理的自分が離れることを覚えました。「気になる」の発生源の近くにいるのがどうしても耐えられなくなったとき、私がその場を去るのです。例えば「イヤフォンをする」のも離れるための工夫。

 ただそれは自分に不都合なものは締め出すことと同義ではないかとも思うのです。それはそれで、私は危ない人間になってしまう。どうしたものか、というところです。