ベランダの実験室

思考の記録です。

不機嫌からの卒業

 私は気分がコロコロ変わる。

 自分って気分屋だなぁ...とは昔からよく思っていて、しかし、あまり私のことを知らない人は「落ち着いているね」と言ってくる。違うんです。それはかなり自制して得ることができている姿なのです。

 

 気分がコロコロ変わるから、立ち直りも早いけれどその逆も然り。すーぐ怒る。ふさぎ込む。機嫌が悪くなる。ムカつくことが多いのでそれだけ不機嫌になることも多い。

 しかし、もうそういうところからは卒業しよう、とここ数日でふと思い立ったのだ。

 

 だって、私は不機嫌な人が嫌いなのだから。

 何に怒っているのかは知らないが、その毒素を周囲をまき散らさないでおくれ、と思って生きてきた。

 私は他人の「不機嫌」に弱い。誰かがイライラしていたり怒っていたりすると、途端にドキドキする。おろおろする。どうしていいかわからなくなる。不安になる。不快な気持ちになる。誰もが私のように思うわけではないだろうけれど、自分だっておんなじことをしてきた。そのことに、気がつく。だから、私は不機嫌でいることを辞めにした。

 

 考えてみれば、「不機嫌」というのは私にとっては1つの手段。自分のなかで考えていたものが思い通りにいかなかったり、他人が期待通りに動いてくれなかったり、そういう「欲求」が叶えられないことをアピールするためのものだった。私はこんだけ怒っているのですよ、ってことが上手く伝えられなくてってこともある。怒っても仕方のないことがあって、それで不機嫌になっていることもある。誰もわかってくれないんだコンチクショウ、という感情の発露でもある。

 ただ、不機嫌になったところで、事態が解決することもあるまい。いいかげん「他人が理解してくれる」ってことを期待していたら一層しんどくなるばかりではないか?というぐらいに、まあ、しんどいのだ。色々と。

 

 よく頑張っている私、と思うことにして。

 不快な人は眼前から消え去ってもらうために、私が去る。

 そして、私はいつも上機嫌でいる。それは自分のために。

 不機嫌な人は、勝手に不機嫌になってろ。私は、私で幸せになるから。

 

 そんなことを考えていた。