ベランダの実験室

思考の記録です。

暗闇の備忘録

 こういう晩は、唐突に「ああ死にたいな」と思う。

 何かひどいことがあったわけではない。罵倒されもしないし悪口を言われたわけでもないし、いじめられたわけでもない。

 強いて言えば私の周りには誰もいない、ということぐらいだろうか。

 

 私には友達がほとんどいない。誰も私を誘わないし、私も誰かを誘ったりはしない。誰かと時間を共有する楽しみをこの歳になるまでおそらく味わってこなかったばかりに、私は誰かと一緒にいることが心地よく思えない人間に成り果てた。

 さあ、私はどんな人間なのだろう?この世に存在していいのか。とりあえずは「使える」「有用な」人間なのだろうか?…わかってる。使えるとか使えないとか優しいとか優しくないとか、そんな些細なことと人間の存在は関係がない。何もできなくたって、誰かに迷惑をかけたって、存在しなくていい理由にはならない。だけど、私は自分に問うことをやめない。私は使えるのか。誰かのためになっているのか。迷惑をかけていないのか。問うことを、やめられない。

  ということで、私は今も己には問い続け、外界の情報はできるだけ察知しようと必死である。具体的には、自分以外他者の評価をものすごく気にする。自分がどう思われているのか。どういう人間に見えているのか。とても考える。考え、時に修正し、アレンジしながら生きてきた。それがうまくいっているのかは、知らない。

  そういう生き方は正直しんどい。とてもじゃないがオススメできるものではない。誰も私が知らない空間に身を置かないと、とてもじゃないが身体がもたない。家族ですらしんどい。いや、家族だからしんどいのか。それはさておき。

 

  私は大体の人間のことが嫌いなのだと思う。それはその人が悪いのではなく、私自身の問題だ。私が嫌っているだけのこと。私が嫌いなだけのこと。私の周りにいる人は何も悪くない。

 

 あまりに1人でいるものだから、時々箍が外れるのかもしれない。それとも自然と滲み出ているのか?それは相手にも伝わっているのか?理解されたい。わかってほしい。ただひたすら「そうだよね」という同意の言葉を求めてしまう。それは、客観的に見てひどく重たい姿勢だと思う。なら、私はどうすればいいのだろう?そんなことを考えては途方に暮れ、落ち込む夜は数え切れない。(こんなことを書いているが、今日は割と大丈夫な方だ。まだ、落ち込んでいない。)

 

 死ねば誰かわかってくれるのか、と思う。死ぬことで私が今感じていることが誰かに伝わるのなら、そして悲しんでくれるのなら、私は死んでもいいのかなと思ってしまったりする。でも、まあ、死んだ後私はこの世界にいることができなさそうなので、やっぱり死にたくない。そして私がなおも生きていられるのは、この世界には私が知らない感動が絶対あることを確信しているから。世界が美しいか確かめるためには私は綺麗なものを見つけるまで生き続けなければならない。世界に少しでも美しく心動かされるものがあるならば、私は生きる価値がある。

 

 死にたいなと思う夜に、やっぱり死ねないなと思える幸福。

 少しばかりうまくいっていないが、それだけで命を差し出すのはとても惜しい話。

 

 何があってもこの世は捨てたものではない、と思いたい。

 たとえ一人でも。誰からも理解されず、私も誰かを理解することができなくても。

 せめて、そういうことを考えている今の私の気持ちだけ書き残して、今日は疲れているのだからさっさと寝よう。

 

 お疲れ。