ベランダの実験室

思考の記録です。

内なる毒素、つらつら

 今日感じたことまとめ。

 もっと賢くなりたい。そして、傷つきたくない。

 

悟り

 私が今現在、最も嫌っている人と夕食を食べに行く。向こうはお酒が既に入っている、絶好のコンディション。殺意が湧く。そのこと自体が大層腹立たしく、またそれを抑えることができていない幼い自分にも腹が立つ。

 途中で、こんなふざけた不快な状態になんとか救いを見出そうと、開き直ることを考える。開き直るというか、ああ、もうどうでもいいやと思うことにした。だって怒るの疲れるんだもん。向こうは全然ダメージが入ってないのに、私が一方的に自滅して一体どうするのよ。馬鹿みたい。

 ということで、適当に向こうが機嫌を損ねないように相槌を打つ方向に路線変更をする。まったくもって敬意を払っていない姿勢である。そういうところは先方にもばれちゃうんだろうな、きっと。

 機嫌をのせておけば問題ない。まことしやかに論理的に市場経済について一講義をしてくださるのも、適当に流す。私は感覚的に「それは違うよなぁ」と思うことも、向こうは積み上げてきた論理というものがあるらしく私のふわふわした感情的意見は跳ね返されてしまう。悔しいけど、抗わずに流すのが吉なのだろうなぁ、と今日はよく思い知らされた。

 酒が入った人間に対し、断固として頑なな態度をとることで私は己の意思表示をしてきたのだけど、それはまったくの逆効果でひどければ炎にガソリンをぶちまける事態になることをこの歳になって知りました。酒に溺れる人間はこの世から消えてほしいと切に願う今日この頃ですが、私がこれからも何事もなく快適に生き残るためには、抗うだけでは上手くいかないのかもしれません。とりあえず笑っておけ。で、1人になって上手く事態を乗り切れたら思いっきり自分を褒めよう。えらいえらい。誰も褒めてくれないから、私が自分で自分を褒めるのだ。

 

 

眼力

 にらめつけることで、ちょっと熱を放射して人間をひりひりさせる超能力が欲しいと思っている話。

 

 電車というのは、とても公共的な空間である。通勤通学でラッシュに巻き込まれるならなおさらである。狭い空間にたくさんの人。多くの文化を持った人が空間を共にする場所。そういうこともあって、とにかく色んな人がいる。すぐに忘れるからどうでもいいけれど、私は毎日なにかしら、ムカつく人に出会う。私が単純にムカつきやすく心が狭い人間なのだと思う。ムカつく人に会ったとき、私は心の中でささやかながら「段差に躓いて転んじゃえ」と思うことにしている。レーザービームを出すことができる眼力はないので、心の中でただ祈っている。でも考えてみればこれは祈りじゃない。れっきとした「呪い」だ。

 「勧善懲悪」をいうものを私は信じてはいない。そんなに世界は素敵ではない。こんなに人が自死する世界が素敵であっていいはずがない。でも、ひどいことをした人間はまともに幸せになれない、なられては困る、絶対人生のどこかでは苦しむのだ、とは思っている。無理にでも思うことで私は生き延びているのだ。

 

 

喋りたくない

 喋ることでカタルシスを得ても仕方ないのでは、と思う今日この頃。どうせちゃんと物事考えていないんだ。いっつも適当に喋っているのだから。