ベランダの実験室

思考の記録です。

墓を歩く

 そのつもりはなかったのだけど、結果的に墓地のなかを歩くことになってしまった。という話、およびそこで感じたこと。

 

 今まで降りたことがない駅で降りてカメラ片手に散策をしよう。そう思い立って、日差しが降り注ぐ中私は家から外に出ることにした。今まで降りたことはないはずの駅のはずなのに、下車してみればどことなく見覚えがある景色。しばらく考えてみたら、以前私はこの駅に来たことがあったのだった。なんだ...。 

 ということで、以前来た道とは違う道を歩こうと思ったのだけど、結果的には以前通った道をたどることになってしまったのはなんなのか。ただ、以前は右に曲がったけれど、今日は左に曲がることにした。曲がると、そこには墓地が広がっていた。有名な場所だ。いつのまにか墓地の敷地内に入ってしまった。よそ様の場所なのだからさっさと失礼のないように通り抜けよう。写真なんて問題外だ。私はひたすら歩く。

 

 その場所はなんとも混沌としていたように思えた。まず墓石も古いものが多い。見てみると帝国大学の先生方とか爵位を持っている人とか、とにかくすごそうで偉そうな人の墓石もある。ここ十数年は誰も来てないようなお墓もあるし、一方で現代的かつ合理的な墓の試みも見られたりして、整然と墓石が並べられ秩序があり清潔感がある墓地のイメージとはだいぶ違っていた。私の近しい人の墓は、もっと均質的でよそよそしいところにあるから。

 ここでは、生者より死者の方が多いんだなぁ、とふと思った。生きている人間の圧倒的場違い感がちょっとおかしい。人間いつか死ぬんだなぁって思った。私なら死んだ後どう扱われたいかなとも思った。とりあえずまだ死にたくはないなぁと思った。生きるのが面倒に思えることもあるのだけど、私はまだ死にたくはないのだ。

 犬の散歩をしている人がいる。ジョギングをしている人がいる。一応史跡扱いなのだろうか、歴史の講釈を受けている団体もいる。墓地だけど、混沌としている場所。面白い。

 部外者の私がいるようなところでもないだろう。さっさと場所を後にして、私は再び歩く。文化は違えど、価値観は異なれど、人はいつかは死にそれを葬り死者の安寧を祈る考えは人間に共通するものなんだよなぁ。すごいなぁ、なんて。

 帰りは出店のいか焼き500円を美味しく食べて帰った。大丈夫私はまだ生きている。

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