ベランダの実験室

思考の記録です。

本当は間違っているんだ日記

 今日は「本当は間違っているんだ日記」です。

 タイトルの由来は穂村弘さんの『本当はちがうんだ日記』です。

本当はちがうんだ日記 (集英社文庫)

 「本当はちがうんだ」という言葉のリズムが今の私にはぴったりくるので、参考にさせていただきました。今日は「間違ってる」ということについて書きます。

 

 

 間違っている、ってなんだ?って話なのですが。何が間違っているのかというと、そう、「私」なんです。私が間違っているんです。

 

 

 私は思いこみが激しい人間。思考がどんどん勝手に進み妄想が広がり、周囲の認識との差ができやすいような気がする(これもまた思いこみ)。思いこみが激しいというより、「思考の閉鎖性が高い」という表現がしっくりくる(これもまた思いこみ)。他者と全然交流しないので、思考がガラパゴス化しがち(これもまた思いこみ...)。思い込み激しい人間は、思考をもってドンドン突き進みます。で玉砕します。私はうろ覚えの記憶なのですが親から「調子に乗るな」的なお叱りをよく受けていたような気がしています。「図に乗るな」「驕るな」というよりは、「おだてられて得意になってはしゃぐんじゃねーぞ」的なニュアンスかと理解しています。子どもの頃ですからね。気分のむらがあるので、勢いづくとドンドン突っ走っていってしまう特性が私にはあります。上手く活用すれば、思わぬエネルギーを生み出すものでもあります。

 思いこみ激しい人間の私は、大体間違ったことを言っている。そう思った方がいいんじゃないかなって、思いこみの激しい私は最近ふと思ったのです。間違っているってのは、自分の存在そのものに対する疑問、最悪自己肯定感を一気に喪失するようなものではなくて、リスク対策の感覚。

 私はいたって真剣に物事を考えているけれど、それって本当に正しいのかしら。正しくないだろうなぁ、という感覚。最初から間違うことも、誰かを騙すつもりもないけれど、私は間違っている、という感覚を持っていた方がいいのではないかな、って思うのです。自分は。

 

 一方で、何かを発信するということは、何かが残るということです。言葉にしろ文章にしろ、発信したことは絶対何かしらの形で残ってしまう。私の間違ったことは間違ったままなのです、悲しいことに。私は間違ったことの重みに時々耐えられないことがあります。ああ、もう今はそんなこと考えてない。私のその考えは間違っている…。でも発信された情報そのものを変えることはできず、訂正するしかありません。生きるというのは、そういう意味では訂正の連続なのかもしれない。

 

 私は間違っています。でも間違おうと思って間違っているわけではありません。正しくないです。でも、いつも真剣です(多分)。

 

 生きることは間違うこと。生きることは間違いを訂正し続けながら間違っていくこと。そんなことを思いました。もちろんこの文章も間違ったことばかりです。

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